カポラーゴのティポグラフィア・エルヴェティカ
亡命者の印刷所の中で最も重要なものは、同州における自由主義革命の数週間後の1830年10月9日、ルガーノ湖の南端にあるカポラーゴに創設された。その主たる出資者はメラーノのVincenzo Borsaであった。その協力者には、既に言及したピエモンテの亡命者たちが含まれていた。17年間途切れることなく同社のために働き共同所有者となったCarlo Modesto Massa、経営を引き継いだFrancesco Romagnoli、そして1839年に帰国の許可を求めた司祭Francesco Tubiである。1 1847年にはジェノヴァのAlessandro Repettiが単独の所有者となった。印刷所には書店が付属し、定期刊行物も発行していた。2
Elveticaの出版計画は野心的であった。それは、古代の古典(ホラティウス、ルキアノス、アプレイウス)、Melchiorre Giojaのような経済学者、Parini、Foscolo、MontiおよびCarlo PortaからSilvio Pellicoの全集とGiovanni Battista Niccoliniの悲劇に至るイタリア文学、MachiavelliやGuicciardini、Pietro CollettaからCarlo Bottaに至る歴史家の叢書を、MicheletおよびSismondiの翻訳とともに刊行した。3 チューリッヒに亡命していたGiovanni Battista Passeriniの助言により、同社はヘーゲルをイタリア語で印刷した。1844年には、穏健自由主義者の宣言であるCesare BalboのDelle speranze d'Italiaを再版した。Dizionario storico della Svizzeraは、これらの著作の多くがイタリアでは検閲によって禁止されていたと記している。4 Viganòは、同社の全存続期間を通じて350点を超える刊行物を数えている。5 これらの書籍のうちいくつかは、今日イタリア文学の標準的なテキストとなっている。その最初の無検閲のイタリア語版は、湖のスイス側にある一村落で印刷されたのである。
CianiのTipografia della Svizzera Italiana
Ruggiaが閉鎖した1842年、Giacomo CianiはルガーノにTipografia della Svizzera Italianaを創設した。商業的なElveticaとは異なり、それは一人の富裕な人物が資金を出す政治的事業であった。1843年から1847年まで同社はティチーノ急進派の機関紙である週刊紙Il Repubblicano della Svizzera Italianaを発行し、その書籍目録には、Mazzini、Massimo d'Azeglio、Cesare Balbo、Cesare Correnti、Vincenzo GiobertiおよびCarlo Cattaneoといった、きわめて多様な著者が含まれていた。6 1848年の敗北の後、Cattaneoはミラノの蜂起に関する自らの記録Dell'insurrezione di Milano nel 1848 e della successiva guerraをCianiに託した。この著作は1848年秋にパリでまずフランス語で刊行されたものであり、彼は1849年1月31日のイタリア語版のためにこれを大幅に増補した。7 同印刷所は1851年末に清算された。Viganòは二つの理由を挙げている。オーストリアによるその出版物の押収と、1848年以降サルデーニャ王国が穏健な出版の自由を認めたため、イタリアの著者がもはやルガーノを必要としなくなったことである。8
これらの印刷所の経済的側面は注目に値する。Viganòは、それらが私的資本によって設立された商業的企業であり、政治的市場のみならず通常の書籍市場においても生き残らなければならなかったことを強調している。禁じられた市場のために印刷することは、スイスのコストで生産し、大きなリスクを負う密輸業者や書籍商を通じて販売することを意味し、Ciani家のような裕福な亡命者の後援がその差を埋める助けとなった。これらの会社は、ティチーノ人とイタリア人からなる小規模な組合であり、資本は金銭、活字と紙、あるいはMassaの場合のように労務によって拠出された。その会計帳簿と書簡は一部が現存している。1834年から1852年までのSocietà Tipografica Elveticaの定款、記録および書簡は、1847年2月から1852年10月までの書簡控帳を含め、Cattaneo文書とともにパレルモ国立公文書館(Archivio di Stato di Palermo)に保管されており、1929年に同館に移管されたものである。9
注
- 日付と創設者についてはCarlo Agliati, "Tipografia elvetica", in DSS, 2012年10月25日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/024484/(2026年10月4日閲覧);Borsa、Massa、RomagnoliおよびTubiの役割についてはMartinola, "La tipografia Elvetica di Capolago"(前掲)。 ↩
- Agliati, "Tipografia elvetica"(前掲)。 ↩
- Martinola, "La tipografia Elvetica di Capolago"(前掲)、叢書について。 ↩
- Passerini、ヘーゲルおよびBalboの再版についてはMartinola, "La tipografia Elvetica di Capolago"(前掲);イタリアにおける多数の刊行物の禁止についてはAgliati, "Tipografia elvetica"(前掲)。 ↩
- Viganò、序論(前掲)。 ↩
- Viganò、序論(前掲);1842年から1851年までのCianiによる同印刷所の所有についてはAgliati, "Ciani, Giacomo"(前掲)。 ↩
- Viganò、序論(前掲):Cattaneoは「affida a Giacomo Ciani il suo pamphlet dedicato all'Insurrezione di Milano nel 1848」。Ernesto Sestan, "Cattaneo, Carlo", in Dizionario Biografico degli Italiani, vol. 22 (Roma: Istituto della Enciclopedia Italiana, 1979), https://www.treccani.it/enciclopedia/carlo-cattaneo_(Dizionario-Biografico)/(2026年10月5日閲覧)、「il 22 sett. era già in corso di stampa」であったパンフレットL'insurrection de Milan en 1848 、および1849年1月31日に「uscì, notevolmente ampliata」イタリア語版について。 ↩
- Viganò、序論(前掲):同印刷所は「liquidata a fine 1851」。 ↩
- Archivio di Stato di Palermo, Inventario n. 139: Carte Cattaneo, PDF, https://saassipa.cultura.gov.it/wp-content/uploads/2024/11/139-Carte-Cattaneo-1.pdf(2026年10月4日閲覧)、第1箱;印刷所を「imprese commerciali, costituite con capitali privati」と記述するViganò、序論(前掲)。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。