1833年の貯蓄銀行とティチーノ州立銀行(Banca Cantonale Ticinese)
州財政のための貯蓄銀行
州の最初の金融機関は、1833年に設立されたティチーノ貯蓄金庫(Cassa Ticinese di Risparmio)であった。現在ロカルノ市の文書館に保管されているその記録には、ロカルノ、ルガーノ、ベリンツォーナおよびメンドリジオの各事務所の会計帳簿が、設立に関する書簡および文書とともに含まれている。1 この貯蓄金庫は、19世紀前半にスイス全土に広がった公益的な貯蓄銀行の運動に属していた。1850年までに国内にはこのような機関が約150あり、それらは合わせて当時のスイスの全181金融機関の総資産の半分を保有していた。基礎自治体(ゲマインデ)や州がしばしばそれらを設立し、または保証と基本財産によって支援し、名望家が名誉職としてそれらを運営した。当初の顧客は小口の貯蓄者であり、貯蓄銀行は預金が増えるにつれて低下する利率で彼らに利息を支払った。貸付けは抵当貸付けに限られていた。2
ティチーノの貯蓄金庫には特別な目的があった。1861年から1939年までのティチーノ銀行部門に関する研究が現代の標準的な記述となっているピエトロ・ノゼッティによれば、この金庫は本質的に、貯蓄を州の財政に振り向けることに限定されていた。3 道路、学校および行政のための資金が慢性的に不足していた若い州は、市民の預金を信用の源泉として利用した。こうして貯蓄銀行は、後のスイス法が分離することになる二つの機能を兼ね備えていた。すなわち、公衆から預金を集め、それを自らを後援する公的機関に貸し付けたのである。フランシーニその他の自由主義者が活動した改革団体であるティチーノ公益協会(Società ticinese di utilità pubblica)との結び付きは、ロカルノの文書館が同協会の文書に言及していることに表れている。4 貯蓄銀行は自由主義的国家建設の道具であり、その顧客は州財政の浮沈にさらされていた。
1858年6月8日の決議
1850年代、自由主義政府は貯蓄銀行を本格的な商業銀行に置き換えることを決定した。1858年6月8日の立法決議により、大評議会(州議会)は、ティチーノ州立銀行(Banca Cantonale Ticinese)を、額面200フランの株式5,000株に分割された資本金100万スイスフランの株式会社として設立することを認めた。州は1,000株、すなわち資本の5分の1を引き受けた。設立決議は、銀行に30年間すべての税の免除を与え、その負債を含めて州の貯蓄金庫の管理を引き継ぐことを義務づけた。5 銀行は、その存続期間全体にわたる独占的銀行特権、州のすべての公金庫が額面で受け取らなければならない銀行券を発行する権利、そして州、公的機関および私人のために現金業務を行う権利を得た。政府は銀行の取締役会に代表者を任命した。最初の5年間、州は、異例の銀行券兌換の波が銀行の流動性を脅かした場合には、最大50万スイスフランで銀行を支援することを約した。6
銀行の定款は、その第108条において、政府と銀行の間の私法上の紛争は3名から成る仲裁廷によって判断されると定めていた。7 貯蓄金庫は1858年に新しい機関に吸収され、銀行は1861年にベリンツォーナで営業を開始した。8 会社の設立、公的登記簿への登記、そして営業の開始が異なる年に行われたため、資料によって年代が異なっている。『スイス歴史辞典』は1858年、スイス外交文書データベースは1859年、ノゼッティは州最初の近代的銀行としての活動開始について1861年を挙げている。9
注
- Archivio comunale di Locarno, fondo AB.2 "Cassa di Risparmio"(1833年~1858年)、スイス経済文書データベースにおける記述、https://ub-archeco24.ub.unibas.ch/index.php/cassa-di-risparmio(ロカルノ、ルガーノ、ベリンツォーナおよびメンドリジオの各事務所の会計帳簿、75冊)。 ↩
- Peter Püntener, "Casse di risparmio", DSS所収、2012年2月13日版、https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/014063/。 ↩
- Pietro Nosetti, "Le secteur bancaire tessinois: origines, crises et transformations"、第3回スイス歴史学会議(フリブール、2013年2月7日~9日)での報告、https://infoclio.ch/sites/default/files/standard_page/nosetti2013.pdf。書籍版はPietro Nosetti, Le secteur bancaire tessinois. Origines, crises et transformations (1861–1939)(Alphil, series "Culture, savoirs et patrimoine")、ISBN 978-2-88930-177-5。抜粋はhttps://www.unifr.ch/alumni/de/assets/public/Alumni/pdf/livre_pietro_nosetti_banques_tessino ises.pdf。 ↩
- fondo AB.2の記述(前掲)。ティチーノ公益協会の文書に言及している。Marcacci, "Franscini, Stefano"(前掲)は、フランシーニがいくつかの市民団体および慈善団体を推進したことを記しているが、この協会の名は挙げていない。 ↩
- 連邦裁判所1885年2月7日判決、Banca cantonale ticinese c. Cantone Ticino、BGE 11、https://www.servat.unibe.ch/dfr/pdf/c1011090.pdf。 ↩
- 連邦裁判所1892年11月11日判決、Banca cantonale ticinese c. Cantone Ticino、BGE 18 No. 146、https://www.servat.unibe.ch/dfr/pdf/c1018956.pdf(特権および定款の要約)。 ↩
- BGE 18 No. 146(前掲)。 ↩
- fondo AB.2の記述(前掲):"La Cassa di Risparmio fu assorbita nel 1858 dalla Banca cantonale ticinese"。Nosetti 2013(前掲)、1861年について。 ↩
- Yves Froidevaux, "Banche cantonali", DSS所収、2015年4月8日版、https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/014065/(ティチーノ、1858年)。Dodis, "Banca cantonale ticinese"、https://dodis.ch/R23215(1859年設立、1914年解散)。Nosetti 2013(前掲)。 ↩
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