1848年の連邦国家と州の財政
1848年9月12日の連邦憲法は、連邦を主権国家の同盟から連邦国家へと変えた。ティチーノ州(カントン)にとって、この変化は両刃の剣であった。1847年の分離同盟戦争において連邦側で戦った同州には急進派の政府があり、それは新たな連邦秩序の政治的目標を共有していた。しかし憲法は、同州が1803年以来依拠してきた歳入、すなわち国境における関税、道路と橋の通行料、そして郵便からの収入を奪った。1803年にヘルヴェティア共和国の憎まれた直接税を避けるためにこそ間接税を選んだ州が、今やそれを導入しなければならなくなったのである。1848年の議論とその後数年間の財政危機は、連邦国家の政治的決着が公的資金の問題といかに密接に結び付いていたかを示している。
連邦憲法に対するティチーノ州の投票
大評議会は、1848年1月と5月の会期、および1848年8月22日から30日までの臨時会期において、連邦憲法草案を審議した。政府の報告書は、同州が予想する損失を隠さなかった。報告書は「Le poste ci vengono rapite」、すなわち郵便が我々から奪われると述べ、その損害を年間7万ミラノ・リラを下らないと見積もった。議員たちが何よりも懸念したのは、dazi, pedaggi e pontonaggi、すなわち関税ならびに道路と橋の通行料の喪失であり、また連邦が州に補償を行う基準であった。1 1848年9月3日の住民投票は、反対4,266票、賛成1,652票と、憲法に対して大きく否定的な結果となり、12の郡は投票すら行わなかった。それにもかかわらず大評議会は、39票対22票で条件付きの受諾を宣言し、同州の関税収入に関する明示的な留保を付した。
ティチーノの有権者の動機は、何よりも財政的なものであった。長い国境線と費用のかかる山岳道路網を抱える貧しい州は、新たな連邦国家がその歳入を奪い、費用だけを残すことを恐れたのである。以来ティチーノ州は、連邦歳入の配分とその地理的負担の補償について、厳しい交渉を続けてきた。
関税、通行料および郵便:憲法が移管したもの
憲法上の規定は明確であった。第23条は「Das Zollwesen ist Sache des Bundes」、すなわち関税は連邦の所管であると宣言した。第24条は、国境で関税を課し、州の通行料、道路税および橋税を補償と引換えに廃止する権利を連邦に与えた。第25条は連邦関税率の原則を定め、国内産業に必要な物品と生活必需品には低い関税を、奢侈品には最も高い関税を、通過には中程度の関税を課すこととした。第26条は収入の配分を規律した。各州は1838年の国勢調査による人口一人当たり4バッツェンを受け取り、自らの関税と通行料の廃止によってそれ以上を失う州は、1842年から1846年までの平均純収入を基礎として補償された。第27条は、道路の費用を賄うために徴収される通過通行料は、元本と利息が回収された時点で廃止されると定めた。2
憲法はまた、1844年から1846年までの平均純収入に基づく補償を伴って郵便(第33条)を、さらに貨幣鋳造(第36条)と度量衡制度(第37条)を連邦に移管した。第29条は、塩と火薬の専売ならびにワインと蒸留酒に対する消費税を留保しつつ、州間における食料品、家畜および商品の自由な取引を保障した。3 1849年1月1日、連邦郵便当局はティチーノ州の州郵便を引き継いだ。4 同州がその郵便を自ら運営していたのは1834年から1835年以降にすぎなかった。1834年6月11日に大評議会は、チューリッヒ郵便当局に対する債務を返済し、郵便制度を変更するため、20万フランの任意借入れを行うことを決議したのである。同州の郵便純収入は、年間約2万リラ、すなわち1万フランを超えたことがなかった。
要点。1848年の連邦憲法は、関税(第23条から第27条)、郵便(第33条)、貨幣鋳造(第36条)および度量衡(第37条)を連邦に移管し、域内の通行料を補償と引換えに廃止するとともに、第29条によって州間の自由な取引を確立した。各州は関税収入から住民一人当たり4バッツェンを受け取り、失われた通行料収入と郵便収入については従前の純収入に基づく補償を受けた。連邦は主として関税と郵便特権によって財源を賄い、1874年まで州に対して失われた歳入を補償した。州は直接税を課す権限を保持し、ティチーノ州は1855年にこれを導入した。
財政調整に関するHLSの項目は、その結果としての財源配分を次のように要約している。連邦は主として関税と郵便特権によって支出を賄い、1874年まで州が失った歳入を補償しなければならなかった。同項目はさらに、アルプス峠の州、すなわちウーリ州、グラウビュンデン州、ティチーノ州およびヴァレー州が、大規模な山岳道路の建設のために連邦の補助金を受けたと付け加えている。5 州政府が記録しているグラウビュンデン州の経験は、山岳州にとってこの変化がいかに大きかったかを示している。1848年以前、通行料、道路税・橋税および州郵便は、同州の支出の約5分の2を賄っていた。同州は年間約34万5,000フランの補償を要求したが、1850年5月15日の協定に基づいて受け取ったのは20万フランであり、そのうち約8万フランは期限付きでのみ認められたものであった。同州最初の租税法は1856年に続いた。6 ティチーノ州の立場もこれに類似しており、その対応も同様であった。
注
- Agliati、大評議会と1848年連邦憲法に関する研究、Scuola ticinese, no. 94, https://www4.ti.ch/fileadmin/DECS/DS/Rivista_scuola_ticinese/ST_n.94/ ST_94_Agliati_Gran_Consiglio_ticinese_di_fronte_a_costituzione_federale_1848.pdf(Atti del Gran Consiglioに基づく)。同研究は1848年7月3日の関税協定と30万フランの補償金にも言及しているが、その性質は確認できなかった。 ↩
- 1848年9月12日の連邦憲法、Bundesblatt 1849, https://www.parlament.ch/centers/documents/de/verfassung-bundesblatt-1849.pdf、第23条から第27条。 ↩
- 同上、第29条、第33条、第36条および第37条。 ↩
- Marazzi、州郵便制度(前掲)。 ↩
- Alfred Rey, "Perequazione finanziaria", DSS, 2017年7月13日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/013760/2017-07-13/. ↩
- グラウビュンデン州, "Die Schweiz als Wirtschaftsraum", https://www.gr.ch/DE/kanton/175-Jahre/Seiten/Die-Schweiz-als-Wirtschaftsraum.aspx. ↩
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