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トリエント公会議以前のアルプス以南の教会

二つの司教区と典礼の境界

カルロ・ボッロメーオが1565年にミラノに着任したとき、後のティチーノ州(カントン)の小教区は、その司教座聖堂が盟約者団の外にある二つの司教区に属していた。ルガーノ、メンドリージオ、ロカルノ、ヴァッレマッジャおよびベッリンツォーナを含む領域の南部と西部は、コモ司教区の一部をなしていた。同司教区は、19世紀までに、ティチーノにある六つのpievi(プレーベ、教区共同体)において約180の小教区を数えた。7世紀初頭以来、コモはアクイレイア総大司教の教会管区に属し、1751年までアクイレイアの属司教区であり続けた。したがって、その司教はミラノ大司教に服していなかった。1 レヴェンティーナ、ブレニオおよびリヴィエラの北部三渓谷は、ルガーノ北方のカプリアスカのpieveおよびマッジョーレ湖畔のブリッサーゴの小教区とともに、ミラノ大司教区に直接属していた。これらがTre Valli ambrosiane(アンブロジオ典礼の三渓谷)であり、そこではローマ典礼に代えてミラノのアンブロジオ典礼が執り行われていた。2 第A.I章は、この区分の中世における起源を記述している。本章の目的にとっては、三つの帰結が重要である。第一に、この領域には自らの司教がおらず、カトリック改革がポッレージョの旧フミリアーティ修道会の館にトレ・ヴァッリのための神学校を設立するまでは、神学校もなかった。第二に、その聖職者は、コモとミラノから養成され、任命され、監督された。第三に、その政治的支配者、すなわち1500年および1512年–1513年以降に代官領を統治した盟約者団の諸州自体が、1529年以降は宗派によって分裂しており、そのため南部の教会は、互いに合意していない支配者たちの合意に依存していた。3

アンブロジオ典礼は、北部の渓谷とミラノ首都大司教座との特別な関係を表している。大司教は彼らの直接の裁治権者であり、ミラノ教区本部の参事会員と役人がその聖職禄を管理し、ミラノの管区教会会議は属司教の仲介なしに彼らのために立法した。ボッロメーオが1565年以降にアンブロジオ典礼とミラノ教会を改革したとき、その教令はミラノにおけると同様に直接にファイド、ビアスカおよびオリヴォーネに適用された。こうしてトレ・ヴァッリは、イタリア本土以外におけるトリエント改革の最初の試験場の一つとなった。この典礼は今日も同地に存続している。Historical Dictionary of Switzerlandは、三渓谷におけるその保持を、かつて渓谷の霊的事項と世俗的事項の双方を管理していたミラノの参事会員による長い支配に帰している。4

二つの宗派の支配者

政治地図は教会の地図と重なり合っていたが、一致してはいなかった。レヴェンティーナは15世紀以来ウーリによって支配されていた。リヴィエラ、ブレニオおよびベッリンツォーナは、ウーリ、シュヴィーツおよびニートヴァルデンによって共同で統治されていた。これら3州はいずれもカトリックの州であった。したがって、トレ・ヴァッリにおいてボッロメーオは、教会財産と任命に対する自らの権利を用心深く守ってはいたものの、改革され忠実な聖職者に対する彼の関心を共有するカトリックの主権者を相手にしていた。ルガーノ、ロカルノ、メンドリージオおよびヴァッレマッジャの四つの代官領は、改革派のチューリッヒ、ベルン、バーゼルおよびシャフハウゼンを含む12州によって統治されていた。これらのbaliaggi comuni(共同代官領)においては、1555年の改革派ロカルノ人の追放が示したように、教会に関するあらゆる措置が支配者間の宗派的均衡に触れた。5 1531年11月20日の第二次カッペル和約は、共同支配地においてカトリックの宗派を優遇していた。すなわち、個人および集団はカトリックの信仰に復帰する権利を得たが、宗教改革を受け入れる権利は得られず、このようにして混合となった共同体は、教会財産を宗派間で分割しなければならなかった。ロカルノの事例は、この保障の限界を試すものであった。1555年以降、盟約者団会議におけるカトリックの多数派はイタリアの代官領をカトリックの領域とみなし、他方、改革派諸州は主権における自らの持分を主張した。6

この構造は、この地域におけるボッロメーオの活動が当初から外交的な側面をもっていた理由を説明する。アンブロジオ典礼の渓谷において、彼は裁治権者として小教区を巡察し、司祭を罷免し、教会の修繕を命じることができた。世俗の裁判権に触れるいかなる措置も、例えば俗人の裁判、世俗の裁判所による聖職者の処罰、財産の差押え、異端の嫌疑者の追放などは、landfogto(代官)の同意、そしてその背後にある諸州の同意を必要とした。教会の免除特権、聖職者に課税する代官の権利、および教会裁判所からの上訴をめぐる紛争は、この期間全体を通じて続いた。7

注

  1. Paolo Ostinelli, Pablo Crivelli and Fabrizio Panzera, “Como (diocesi)”, in DSS, 2005年4月21日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/007015/(約606–608年から1751年までアクイレイア管区、その後ゴリツィア。コモの六つのpieviに約180の小教区。司教Volpi(1559–1588年)およびNinguarda(1588–1595年)。とりわけボッロメーオによる多数の巡察)。 ↩
  2. Paolo Ostinelli, Pablo Crivelli and Fabrizio Panzera, “Milano (arcidiocesi)”, in DSS, 2010年4月29日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/007018/(アンブロジオ典礼。ミラノ領に含まれるカプリアスカ、トレ・ヴァッリおよびブリッサーゴのpievi。ロカルノとベッリンツォーナは1002/1004年にコモに移った)。第A.I章も参照。コモが1751年まで属していたアクイレイア管区、およびコモとミラノの対立については、Ostinelli, Crivelli and Panzera, “Como (diocesi)”(後掲)を参照。 ↩
  3. André Holenstein, “Baliaggi comuni”, in DSS, 2021年9月21日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/009817/2021-09-21/(ルガーノ、メンドリージオ、ロカルノおよびヴァッレマッジャは1512年に征服された。ベッリンツォーナ、ブレニオおよびリヴィエラはウーリ、シュヴィーツおよびニートヴァルデンにより統治された)。ポッレージョの神学校については、Mario Fransioli and Tiziano Locarnini, “Leventina”, in DSS, 2017年3月14日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/008543/2017-03-14/、および“Tre Valli ambrosiane”, in DSS, 2017年4月5日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/008551/2017-04-05/を参照。両者は設立年を異なって記載している(1571年および1622年)。第A.II章も参照。 ↩
  4. Fransioli and Locarnini, “Leventina”(前掲)。三渓谷におけるアンブロジオ典礼の存続をミラノの参事会員の支配に帰している。“Tre Valli ambrosiane”(前掲)。参事会員の霊的および世俗的裁判権について。 ↩
  5. Holenstein, “Baliaggi comuni”(前掲):1481年から1501年までの間に盟約者団に加入した諸州(フリブール、ゾーロトゥルン、バーゼルおよびシャフハウゼン)は、イタリアの四つの代官領の統治にのみ参加した。Fransioli and Locarnini, “Leventina”(前掲)。1439/1441年(1478年のジョルニコの戦いの後に確認)から1798年までのウーリによる支配について。Giuseppe Chiesi, “Riviera”, in DSS, 2017年4月5日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/008547/2017-04-05/(1499–1500年から1798年までウーリ、シュヴィーツおよびニートヴァルデンの共同代官領)。第B.I章も参照。 ↩
  6. Hans Ulrich Bächtold, “Landfriedensbünde”, in HLS, 2014年11月20日版, https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/009807/2014-11-20/(1531年11月20日の第二次和約:宗教改革を受け入れる対応する権利なしにカトリックに復帰する権利。混合共同体における教会財産の分割)。“Kappelerkriege”, in HLS, 2009年11月12日版, https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/008903/2009-11-12/(同和約は「begünstigte jedoch in den gemeinen Herrschaften den Katholizismus」)。 ↩
  7. Ceschi(前掲);Paolo D'Alessandri, Atti di S. Carlo riguardanti la Svizzera e i suoi territorii (1909), passim。 ↩

本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。

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