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大銀行、外国銀行とキアッソ

スイスの大銀行は、自らの拠点を拡大することでこれに対応した。スイス・ユニオン銀行、スイス銀行コーポレーションおよび Credit Suisse は、ルガーノの支店を拡充し、キアッソ、メンドリジオ、ロカルノおよびベリンツォーナに新たな支店を開設し、イタリアの個人顧客向けのサービスを創設した。1977年のスキャンダルの中心となった Credit Suisse のキアッソ支店は、副支店長、後に支店長となったエルンスト・クールマイヤーの下で、本質的にイタリア人を顧客とする繁盛した支店に成長していた。その業務は長期にわたって極めて好調であったため、チューリッヒの本店は介入する理由を見出さなかった(第D.III章)。1 イタリアの銀行に続いて、他国の銀行も進出した。1960年代末から、フランス、英国、米国、そして後にはアラブおよびラテンアメリカの銀行が、イタリアの個人顧客市場と、ルガーノの銀行が展開し始めていたユーロ市場業務に引き寄せられて、ルガーノに子会社や支店を開設した。2

キアッソにも独自の好況があった。鉄道と税関とともに成長したこの町の経済は、1950年以前は、運輸、運送取扱および通関業者が、たばこおよび絹の製造業とともに支配していた。1950年以降、第三次産業が大きく成長し、キアッソはメンドリジオット地方の金融センターとなった。人口は1900年の3,700人から1970年には8,868人に増加した。3 キアッソの銀行は、国境と運び屋の往来に最も近い位置にあった。イタリア人顧客が利用した金融会社の多くも同地に住所を置いていた。ベルベンニは、国境の町へのこうした会社の集中を、イタリアの資本輸出におけるそれらの役割の間接的な証拠とみなしている。4 1980年代からは、企業や住民が近隣の基礎自治体(ゲマインデ)に移転したため、この傾向は逆転した。5

脆弱性と破綻

急速な成長は、脆弱な金融機関をもたらした。1964年にイタリア資本で設立された Banca Vallugano は、キアッソ・スキャンダルの数年前に破綻したが、制度全体に対する信頼を揺るがすことはなかった。6 ルガーノの Weisscredit, Banca Commerciale e d'Investimenti は、ルガーノから指揮されていたリヒテンシュタインの営造物法人が2億スイスフランを超える外国資金を集め、1974年以降約1億2,000万スイスフランの損失を累積していたことを連邦銀行委員会が認定した後、1977年初めに免許を失った。7 いずれの事件も、キアッソにおける Credit Suisse の損失と比べれば小規模であった。しかし、それらは、外国資金の秘密裏の受入れの上に築かれた市場が、その秘匿性と、自国の当局に訴えることのできない顧客から質問が出ないことに依存したビジネスモデルをもつ創業者を引き寄せたことを示していた。

数字で見る。ティチーノ州の銀行業、1945年〜1982年:

  • 1945年:11行、従業員約500人。8
  • 1950年:Banca della Svizzera Italiana の総資産1億200万スイスフラン。9
  • 1956年〜1966年:資金の増加率はティチーノ州の銀行で242パーセント、スイスの全銀行で168パーセント。10
  • 1960年〜1970年:信用機関は12から20に、総資産は約8億スイスフランから30億スイスフラン近くに。11
  • 1971年:Banca dello Stato の総資産10億6,000万スイスフラン。12
  • 1982年:44の銀行機関、従業員7,000人超。13

注

  1. Le Temps, "Grandes affaires économiques suisses (26): le scandale de Chiasso", https://www.letemps.ch/economie/grandes-affaires-economiques-suisse-26-scandale-chiasso-lhistoire-dune-banque-banque("Ernst Kuhrmeier, directeur adjoint de la filiale tessinoise"、彼は "attirera une clientèle essentiellement italienne"、"Longtemps les affaires sont si florissantes que le siège zurichois de la banque ne réagit pas"、"Kuhrmeier est même nommé directeur principal, en janvier 1975")。Joseph Jung, Von der Schweizerischen Kreditanstalt zur Credit Suisse Group. Eine Bankengeschichte (Zurich: NZZ Verlag, 2000) に依拠している。第D.III章を参照。 ↩
  2. 外国銀行のルガーノ進出については、Chopard(前掲)を参照。 ↩
  3. Stefania Bianchi, "Chiasso", in HLS(前掲)(1900年の住民3,700人、1970年8,868人、1950年以降の第三次産業の大きな成長によりキアッソはメンドリジオット地方の金融センターとなった)。 ↩
  4. Berbenni(前掲), 330("la stessa circostanza che molte di queste società avessero il proprio domicilio legale nella cittadina di confine di Chiasso, rappresentava una prova indiretta del ruolo giocato dalle esportazioni di capitali italiani")。 ↩
  5. Bianchi, "Chiasso"(前掲)(1980年代以降、企業および住民が近隣の基礎自治体に移転、1980年の住民はペドリナーテを含め8,583人)。 ↩
  6. Ticino Turismo, "Lo scandalo di Chiasso", https://www.ticino.ch/de/about-us/ett-storico/anni-70/scandalo-chiasso.html("c'era stato, qualche anno prima, il fallimento della banca Vallugano, ma con una portata non tale da intaccare la fiducia")。設立年は Berbenni(前掲), 331 による。 ↩
  7. 連邦銀行委員会, Jahresbericht 1977(前掲), 22–23。 ↩
  8. Berbenni(前掲), 329。 ↩
  9. Pordenone(前掲)。 ↩
  10. Berbenni(前掲), 329。 ↩
  11. RSI, Prisma, 1970年1月21日(前掲)。 ↩
  12. 1972年11月28日の Rapporto della Commissione della gestione(前掲)。 ↩
  13. Berbenni(前掲), 329。 ↩

本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。

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