集落、ヴィラと道路
ローマ時代の定住は、湖沿いとメンドリージオ地方において最もよく裏付けられている。マッジョーレ湖岸、のちのロカルノに隣接するムラルトのvicus(村落)からは、建物跡、墓地およびガラス器の豊富なコレクションが出土しており、紀元1世紀から4世紀にかけて相応の繁栄を享受した地域的中心地の存在をうかがわせる。1 スタビオ、リーヴァ・サン・ヴィターレその他のメンドリージオ地方の地からは、碑文や別荘の遺構が出土している。これらの出土品は、土地所有者、小作人および奴隷からなる農業社会を示している。この社会はコモの市場に組み込まれ、地中海全域から物資の供給を受けていた。2
道路網は谷筋に沿って走っていた。一本の道はコモからモンテ・チェネリ峠を越え、あるいは湖岸に沿ってベッリンツォーナに至り、さらにサン・ベルナルディーノ峠とルクマーニョ峠へと通じていた。別の道はマッジョーレ湖とティチーノ川を利用していた。ゴッタルド峠はローマの交通において何の役割も果たしていなかった。ローマ人は北側の登り口がより緩やかな峠を好んだのである。のちにレヴェンティーナ渓谷をヨーロッパの回廊とすることになる経路は、当時なおシェレネン峡谷によって閉ざされていた。ベッリンツォーナは古代末期にはすでに要塞化された場所であった。カステルグランデの丘での発掘により、ローマ末期の防御施設が明らかになっている。谷筋の道が合流する地点の要塞拠点は、後期ローマ帝国が中央アルプス一帯に構築した防衛体系に合致する。3
キリスト教化
この地域のキリスト教化は、ローマ時代のコモとミラノの組織に沿って進んだ。ルガーノ湖の南端にあるリーヴァ・サン・ヴィターレの洗礼堂は500年頃のものであり、スイスで完全な形で保存されている最古の教会建築とみなされている。4 その八角形の平面は、アンブロシウス司教が自らの司教座聖堂の隣に建てさせた洗礼堂に着想を得たミラノ系洗礼堂の系譜に属する。ムラルト、ベッリンツォーナその他の地にも初期の教会が知られている。これらは、南部と西部をコモ司教の、北部の谷々をミラノ教会の管轄に分けることになる教会地理の第一段階を画するものである(次節参照)。5
注
- DSS、項目「Locarno (comune)」、https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/002108/2022-12-20/。墓地から出土したローマ時代のガラス器は、ロカルノのMuseo civico e archeologicoに展示されている。 ↩
- ローマ時代の節についてDSS項目「Ticino (cantone)」(前掲)、スビナテス族の名を記した石碑を含むローマ時代の出土品についてDSS項目「Riva San Vitale」、https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/002242/。 ↩
- カステルグランデ上の4世紀の防壁(おそらくローマ末期のカストルムの一部)について、DSS項目「Bellinzona (comune)」(前掲)。 ↩
- DSS項目「Riva San Vitale」(前掲)は、ローマ時代の建物の基礎の上に500年頃建てられたこの洗礼堂を、スイスで完全な形で保存されている最古の教会建築としている。建築史についてはSergio Bettini and Marco Di Nallo (eds), Il battistero di San Giovanni a Riva San Vitale. Storia e restauri passati e recenti (Mendrisio: Mendrisio Academy Press, 2023), https://susi.usi.ch/usi/documents/327493 を参照。 ↩
- DSS項目「Como (diocesi)」(前掲)、DSS項目「Tre Valli Ambrosiane」、https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/008551/。 ↩
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