職能と一致しなかった国境
建築職人を送り出した地域は、1512年から19世紀までの間にそこに引かれた政治的境界とは一致していなかった。第A.II章で述べたルガーノ、メンドリジオ及びロカルノの盟約者団への割譲の後、ルガーノ地方及びメンドリジオット地方の村々は12州の従属地となったが、インテルヴィ谷、ヴァルソルダ及びコモ周辺の湖岸はミラノ公国にとどまった。その親方たちがモデナとミラノの大聖堂の建設に携わったカンピオーネの飛び地はミラノ領にとどまり、今日ではイタリアの基礎自治体カンピオーネ・ディターリアとなっている。1 親方たち自身は、自らの家族の内部でこれらの境界を越えていた。工房は境界の両側の近隣の村々から人を集め、婚姻はビッソーネ、カンピオーネ及びインテルヴィの家族を結び付けた。その結果、同じ姓が、記録を書いた者によってルガネーゼ(luganese)、コマスコ(comasco)又はロンバルド(lombardo)として文書に現れることがある。
このため、現代の文献は国民的な呼称から離れてきた。ティチーノとロンバルディアの研究は、現在アルティスティ・デイ・ラーギ(artisti dei laghi)という共通の呼称を用いており、ティチーノ州教育・文化・スポーツ局はこれをその刊行物Artisti dei Laghi. Itinerari europeiの名称に採用した。2 本書はこの用法に従う。本書がある親方を「ティチーノ人」と呼ぶ場合、それは彼が現在ティチーノ州に属する土地の出身であることを意味するのであって、彼自身又はその同時代人が彼をそのように考えていたことを示唆するものではない。中欧バロックの最も有名な名前の多く、例えばスカリアのカルローネ家やペッリオのルラーゴ家は、今日ではイタリア領である村々の出身であった。彼らがここで言及されるのは、同じネットワークに属していたからである。
出発と帰郷の暦
二つの移住は、また正反対の暦に従っていた。建築職人とスタッコ職人は、春から秋までの建築シーズンを通じて働いた。モルタルとスタッコは霜の中では扱うことができず、アルプス以北の大半の建築現場は冬には閉鎖されたからである。彼らの多くは毎冬帰郷したが、2、3年ごとに、あるいは家族の死に際して相続を整理する必要が生じたときにのみ帰郷する者もいた。煙突掃除人は逆のリズムに従った。19世紀には、煙突掃除人として働いた子どもたちは、通常、都市が家々を暖房する10月末から4月まで不在であり、春に農作業の季節のために帰郷した。3 いずれの場合にも、故郷で過ごす冬又は夏は、婚姻、契約、土地の購入及び清算のために用いられた。村々の公証人の登録簿が、男たちが在郷していた月に最も密に記載されているのはそのためである。
ローマ、中欧又はロシアへの遠距離移住者は、毎年帰郷することはできなかった。彼らは数年、時には数十年にわたって滞在し、婚姻、親の死去、あるいは引退のために帰郷した。初期サンクトペテルブルクの建築家ドメニコ・トレッツィーニは生涯の最後の30年間をロシアで過ごしたが、ドイツ語圏で働いた多くのスタッコ職人は、ルガーノ地方の村々に世帯を維持したまま、20シーズン又は30シーズンにわたってそこで働いた。4 したがって、季節的移住と恒久的移住の区別は流動的であった。典型的な経歴は、国外での数年の徒弟修業、職人又は親方としての季節労働の期間、そして貯蓄を携えての村への最終的な帰郷を組み合わせたものであり、その貯蓄は地元に投資された。
注
- 1512年以後もミラノのサンタンブロージョ修道院の下にとどまったカンピオーネの独自の歴史については、Wikipedia, "Campione d'Italia", https://en.wikipedia.org/wiki/Campione_d %27Italia(最後の手段として使用)を参照。その親方たちについては第A.I章を参照。 ↩
- Repubblica e Cantone Ticino, DECS, Divisione della cultura e degli studi universitari (DCSU), 刊行物ページ"Artisti dei Laghi. Itinerari Europei", https://www4.ti.ch/decs/dcsu/pubblicazioni/artisti-dei-laghi-itinerari-europei, 2026年10月5日閲覧。同ページは、ティチーノ州とロンバルディア州(Regione Lombardia)の共同事業であるこのシリーズを、ヨーロッパ各地における親方たちの仕事の足跡を通じて再構成された芸術家の移住の記録として説明している。 ↩
- Laura Damiani Cabrini, "Maestranze artistiche", Dizionario storico della Svizzera (DSS), 2015年3月20日版, https://hls-dhs-dss.ch/it/articles/047823/(ドイツ語版 https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/047823/)は、季節的な、2、3年ごとの、又は死亡と相続を契機とする帰郷について論じる。煙突掃除の子どもたちの季節については、Rolf Wenger(2010年)を引用するWikipedia, "Spazzacamini", https://de.wikipedia.org/wiki/Spazzacamini(最後の手段として使用)を参照。 ↩
- Mario Redaelli and Pia Todorović Redaelli, "Trezzini, Domenico", Historisches Lexikon der Schweiz (HLS), 2014年4月10日版, https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/019162/。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。