なぜバーゼルなのか
国際決済銀行(BIS)の所在地としてバーゼルが選ばれたのは、妥協の結果であった。いくつかの都市が検討された。世界の金融の首都であるロンドンはフランスにとって受け入れがたく、パリはドイツと英国にとって受け入れがたかった。ブリュッセルとアムステルダムが提案され、スイスの諸都市も提案された。スイスは、その中立、政治的安定、そしてジュネーブの国際連盟を筆頭とする国際機関を受け入れてきた伝統のゆえに、すべての当事者にとって受け入れ可能であった。1
スイス国内では、バーゼルにはいくつかの利点があった。バーゼルは、賠償問題の解決の二大当事者であるフランスとドイツの国境に位置し、パリ、フランクフルト、ベルリン、ブリュッセルおよびロンドンから列車で容易に到達できた。中央銀行家たちは寝台車で夜のうちにバーゼルに移動し、週末に会議を開き、月曜日には各自の執務室に戻ることができた。バーゼルは政治的な首都ではなかったため、同行が政治的機関となるリスクが小さかった。バーゼルはスイスの主要な金融センターではなかったため、スイスの銀行との競合のリスクが小さかった。そして、バーゼルは良質なホテル、通信およびサービスを備えた商業都市であった。
BISの最初の事務所は、バーゼルSBB駅の向かいにあるかつてのグラン・オテル・エ・サヴォワ・オテル・ユニヴェールに置かれ、同行はこの建物を数十年にわたって使用した。駅への近さは、この機関の性格を象徴していた。すなわち、短時間の会議のために欧州各地からやって来る中央銀行家の会合の場である。1977年、同行は駅の近くにバーゼルの建築家マルティン・ブルクハルトが設計した新しいタワーに移転し、それは市のランドマークの一つとなった。2
注
- 候補都市(ブリュッセル、アムステルダム、ロンドン、チューリッヒ、ジュネーブその他)のなかからのBISの所在地としてのバーゼルの選定とその理由については、Toniolo, 2005、およびBISの沿革に関する刊行物を参照。要確認。 ↩
- ツェントラルバーンプラッツのかつてのGrand Hôtel et Savoy Hôtel UniversにおけるBISの最初の事務所、および1977年に完成したツェントラルバーンプラッツ2番地のBISタワー(建築家マルティン・ブルクハルト)については、BISの刊行物を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。