黄金海岸における商事会社
ゴールドコーストにおいて、商事会社はクリスチャンスボー、アクラその他の町に、後には内陸部にも店舗を開いた。同社は、布、工具、金物、塩その他の物資をヨーロッパから輸入し、アフリカの住民に販売した。その見返りに、同社はこの国の産品を輸出した。すなわち、石鹸と潤滑油の製造のためにヨーロッパで需要のあったパーム油とパーム核、19世紀末のゴム・ブームにおけるゴム、そして1890年代からはカカオである。1
同社は、西アフリカ貿易において最も利益の大きい品目の一つであった酒類と火器の取扱いを拒んだ。この方針は同社を競争相手から際立たせ、誠実さの評判をもたらしたが、同時にその利益を制約した。同社は、組織の効率性、取引の信頼性、そしてその多くが伝道教会の信徒であったアフリカ人の顧客と従業員の忠誠によって、これを補った。
同社は、多数のアフリカ人を書記、店舗管理者、代理人、職人として雇用し、彼らに簿記、商業、技術的技能を訓練した。その従業員の何人かは、後に自らの事業を創業し、あるいはゴールドコーストの商業生活と政治生活における指導者となった。こうして同社は、伝道学校で教育を受け商事会社で訓練されたアフリカ人の商業階層の形成に寄与し、この階層は後のガーナの歴史において一定の役割を果たした。
注
- ゴールドコーストにおけるバーゼル伝道商会の事業(ヨーロッパ製品の輸入、パーム油、パーム核、ゴムおよびカカオの輸出)については、Wanner, 1959、ゴールドコースト経済史に関する文献を参照。要確認。 ↩
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