市民の台頭
司教が支配する一方で、市民は組織化を進めた。市の商人、職人、土地所有者は団体を結成し、特権を獲得し、次第に市政への参与を手にしていった。バーゼルでは12世紀末から市参事会、すなわちラートの存在が確認され、13世紀には、司教に仕える騎士家系の構成員と富裕な市民からなる都市自治の主要機関となった。1
司教は市参事会を承認し、その権限を特許状であるハントフェステによって規律した。新たな司教は就任の際にこれを確認しなければならなかった。帝国の司教座都市で一般的であったこの慣行は、領主と市民との関係を準契約的なものに変えた。すなわち、司教の権利が確認されると同時に市民の特権も確認され、その確認は支配者が交代するたびに更新されなければならなかったのである。ハントフェステは、共同体の権利が成文の文書で定められ、権力の行使が更新に服するというバーゼルの憲政文化の根源の一つである。
職人たちはツンフト、すなわち同職組合(Zünfte)に組織された。現存するバーゼル最古のツンフト特許状は、1226年に司教ハインリヒ・フォン・トゥーンが毛皮職人(Kürschner)に与えたものである。2 その後、肉屋、パン屋、鍛冶屋、織工、皮なめし工その他多くの職種に特許状が与えられた。ツンフトはそれぞれの手工業への参入を規制し、品質基準を定め、構成員の宗教生活と社会生活を組織し、相互扶助を提供した。ツンフトはまた、市の防衛のための軍事単位を形成した。13世紀から14世紀にかけて市参事会への代表権を獲得したツンフトは、15世紀までには市政を支配するに至った。組織された職人と商人に政治的権利を与えたツンフト体制は、バーゼルでは18世紀末まで続き、市の政治文化を形づくった。
バーゼルのいくつかのツンフトは商人を結集していた。ツム・シュリュッセルは織物商と卸売商のツンフトであり、ツム・ザフランは食料品商と香辛料商を、ツー・ハウスゲノッセンあるいはツム・ベーレンは両替商と金細工師を結集していた。時にヘレンツュンフテ(Herrenzünfte)、すなわち「旦那衆のツンフト」と呼ばれたこれらの商人ツンフトは、席次の上位を占め、市の政治指導層の大きな部分を輩出した。3 中世後期から19世紀に至るまでのバーゼルを特徴づける、比較的少数の家系の手への商業的富と政治権力の結合は、ここに起源を有している。
注
- 12世紀末におけるバーゼル市参事会(Rat)の成立とその構成については、スイス歴史事典(HLS)の項目「Basel (Gemeinde)」の中世に関する節、Wackernagel, vol. 1, 1907 を参照。年代は要確認。 ↩
- 1226年の司教ハインリヒ・フォン・トゥーンによる毛皮職人(Kürschner)のためのツンフト特許状は、一般にバーゼル最古のツンフト特許状として引用される。HLS の項目「Zünfte」、Wackernagel, vol. 1, 1907 を参照。要確認。 ↩
- バーゼルのヘレンツュンフテ(zum Schlüssel、zu Hausgenossen/zum Bären、zu Weinleuten、zu Safran)とその席次については、HLS の項目「Zünfte」のバーゼルに関する節を参照。要確認。 ↩
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