資源としての、また下水路としてのライン川
バーゼルの化学産業は、ライン川を二つの仕方で利用した。同産業は、生産工程、冷却および洗浄のために川から大量の水を取水し、化学物質の残留物を含む排水を再び川に放流した。その歴史の大半を通じて、同産業はライン川を無償の資源であると同時に無償の下水道として扱った。バーゼルの工場の廃棄物は、アルザス、バーデン、プファルツ、ヘッセン、ラインラントおよびオランダへと下流に流れ、そこで川沿いのドイツおよびフランスの産業の廃棄物と混じり合った。1
ライン川の汚染は、同川が欧州で最も汚染された河川の一つとなった20世紀に、国際的な関心事となった。かつて豊富であったサケは姿を消した。オランダとドイツの数百万人が飲料水として利用するその水は、ますます費用のかかる浄化処理を必要とした。1950年、沿岸諸国はその取組みを調整するためにライン川保護国際委員会を設立した。1963年には、同委員会に関するベルン条約を締結した。2 1976年のライン川化学物質条約は、特定の危険物質の排出の削減を義務づけた。
バーゼルの化学企業は、スイスおよび国際的な規制の圧力の下、1970年代および1980年代に排水処理施設を建設した。第G部で検討する1986年のシュヴァイツァーハレの火災は、ライン行動計画と、同川の保護の抜本的な改善をもたらした。21世紀初頭までに、ライン川の水質は大幅に改善した。その後、サケが川に再導入された。ライン川とバーゼルの化学産業の歴史は、長らく他者が負担してきた産業の環境コストが、規制、責任および世論の圧力を通じて次第に内部化されていった過程を示している。
金融センターにとって、環境責任は、企業価値の評価、信用リスクの査定および保険料の算定における要素となった。化学産業がバーゼルとその地域に残した汚染サイトには、アルザスとバーデンにある化学廃棄物の埋立地も含まれ、それらは費用のかかる浄化を必要とした。各社はそのために決算書に引当金を計上した。過去の汚染の費用を誰が負担するのか、すなわち企業か、その保険者か、公衆か、それとも土地の所有者かという問題は、スイス、フランスおよびドイツにおいて交渉と訴訟の対象となってきた。3
注
- 19世紀および20世紀におけるバーゼルの化学産業によるライン川への産業排水の放流と同川の汚染については、ライン川の環境史に関する文献を参照。要確認。 ↩
- 1950年に設立されたライン川保護国際委員会(ICPR)、および1999年4月12日のライン川保護条約(SR 0.814.284)によって置き換えられた1963年4月29日のベルン条約については、ICPRの刊行物を参照。要確認。 ↩
- 三国国境地域におけるバーゼルの化学産業の化学廃棄物埋立地(例えば、ジュラ州のボンフォル、アルザスおよびバーデンの埋立地)と、各社が費用を負担したその浄化については、各社および州当局の報告書を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。