ネットワークとしての文芸共和国
15世紀及び16世紀の人文主義者は、自らの共同体をrespublica litteraria、すなわち文芸共和国と呼んだ。それは、領土も政府も正式な構成員資格も持たず、共通の言語であるラテン語、古典学問の復興とそのキリスト教的生活への適用という共通の理想、そして書簡という共通の実践によって結ばれた共同体であった。人文主義者は絶えず互いに書簡を書き、情報を交換し、テキストを論じ、友人を推薦し、便宜を求め、自らの評判を守った。1
エラスムスはこのネットワークの中心であった。彼が書き、また彼に宛てられた3,000通以上の書簡が現存しているが、彼はそれよりはるかに多くの書簡を書いており、それらは失われている。彼の文通相手には、ラテン・ヨーロッパのあらゆる国の教皇、皇帝、国王、枢機卿、司教、諸侯、貴族、商人、印刷業者及び学者が含まれていた。彼は生前に自らの書簡の選集を公刊しており、それにより彼の書簡は、その人間関係の公的な演示となり、彼の地位の証明となった。2
文芸共和国は情報ネットワークとして機能した。書簡は、政治的事件、新刊書と発見、学者及び後援者の死去と任命、疫病と戦争の知らせを運んだ。使者、商人、学生及び旅行者によって運ばれた書簡は、目的地に届くまでに数日又は数週間を要した。人文主義者は受け取った情報を共有し、書簡を筆写して回したため、知らせは公式の経路よりも速くネットワークを通じて広まった。
それはまた評判のネットワークとしても機能した。学者の地位はその人間関係、すなわち誰と書簡を交わし、誰に称賛され、誰から書物を献呈され、誰に批判者から擁護されるかにかかっていた。エラスムスは一通の書簡で評判を築くことも壊すこともできたため、若い学者たちは経歴への鍵として彼の承認を求めた。逆に、エラスムス自身の評判もネットワークに依存しており、それゆえに彼は、ルーヴァン及びパリの神学者、スペインの修道士、そして後にはルターとその追随者を含む批判者に対して、それを激しく擁護したのである。
金融ネットワークとの類似は示唆に富む。16世紀の商人と銀行家もまた、価格、市場及び取引相手の支払能力に関する情報を得るために書簡に依存していた。そして彼らの事業は、信頼性についての彼らの評判に依存していた。商人の書簡と人文主義者の書簡は同じ経路を通り、しばしば同じ使者によって運ばれた。人文主義者の中には商人の息子もおり、商人の中には人文主義者の後援者もいた。学問と商業の情報・評判ネットワークは重なり合っていた。
現代の金融界においても、評判は依然として事業の基盤である。銀行、資産運用会社及び金融アドバイザーは、顧客と取引相手の信頼に依存している。この信頼は、業界のネットワークや報道において、そしてますます格付機関、監督報告及び公的登録簿において、彼らについて語られることによって形作られる。何世紀にもわたってその評判を築いてきたスイス金融センターは、この評判が醜聞によっていかに速やかに損なわれ得るかを目の当たりにしてきた。エラスムスの人文主義者ネットワークは、通貨が称賛であり、リスクが嘲笑であった評判経済の初期の例である。
注
- 書簡のネットワークとしてのrespublica litterariaについては、人文主義及び学術コミュニケーションの歴史に関する文献を参照。要確認。 ↩
- エラスムス書簡の批判校訂版であるOpus epistolarum Des. Erasmi Roterodami, ed. P. S. Allen et al., 12 vols, Oxford 1906–1958は、3,000通以上の書簡を収録している。要確認。 ↩
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