特許問題
バーゼルの化学産業の誕生を助けた特許保護の不在は、19世紀最後の数十年間に政治的争点となった。外国の政府と産業、とりわけドイツのそれは、スイス企業が対価を支払うことなく自らの発明を模倣していると苦情を述べた。自らの発明を保護したいと考えるスイスの産業、とりわけ時計産業と機械産業は、特許法の制定を求める運動を展開した。保護の不在から利益を得ていたバーゼルの化学産業は、これに反対した。
2度の失敗の後、1887年、スイスの有権者は、特許に関する立法権限を連邦に与える憲法改正を承認した。最初の連邦特許法は1888年に施行された。しかし同法は模型によって表現することのできる発明のみを保護しており、そのため化学的製法は除外されていた。化学産業の影響力を反映したこの制限は国外で批判され、ドイツはスイスに対して保護の拡大を迫った。1907年、ドイツの通商上の報復の脅威の下で、スイスは特許法を改正して化学的製法を保護したが、化学物質それ自体は保護の対象としなかった。1 化学品と医薬品それ自体の保護は、1978年になってようやく導入された。2
特許保護が導入された時点までに、バーゼルの化学産業は独自の研究能力を発展させており、もはや模倣に依存していなかった。自らイノベーターとなった同産業は、まもなく世界で最も強力な知的財産の擁護者の一つとなる。模倣者からイノベーターへ、特許の反対者から特許の擁護者へというバーゼルの産業の軌跡は、他の工業国の歴史にも類例がある。19世紀の米国、第二次世界大戦後の日本、そして21世紀初頭の中国は、いずれも、脆弱な知的財産保護の下で外国の技術を模倣することによってその工業化を開始した。第G部では、医薬品特許と医薬品へのアクセスをめぐる現在の議論に関連して、このテーマに改めて立ち返る。
注
- 1888年のスイス特許法制(模型の要件、化学的製法の除外)と、ドイツの圧力の下での1907年の改正(化学的製法の保護)については、スイス特許法史に関する文献を参照。要確認。 ↩
- スイス特許法における化学物質および医薬品の物質保護の導入(1978年施行の改正)については、スイス特許法に関する文献を参照。年代は要確認。 ↩
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