絹産業の起源
亡命者の最も重要な経済的貢献は絹産業であった。絹は中世ヨーロッパでは奢侈品であり、ビザンツ帝国とイスラム世界から輸入され、後にはイタリアで生産された。イタリアでは、ルッカ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ジェノヴァ及びミラノが、ヨーロッパの宮廷と富裕層に供給する紡糸、染色及び製織の産業を発展させた。16世紀には、この産業は、リヨンが主要な中心地となったフランスやその他の国々に、しばしば亡命者によって伝えられて広まった。
バーゼルでは、絹産業はいくつかの部門で発展した。連続した生糸に繰ることのできない短繊維や損傷した繭を用いる屑糸紡績、すなわちFlorettseide又はSchappeは、17世紀及び18世紀に重要な部門となり、19世紀には主要な産業へと発展した。絹織物の製織は限られた規模で行われた。しかし、バーゼルに繁栄をもたらした部門は絹リボンの製織、すなわちSeidenbandwebereiであった。1
リボンは近世における重要な流行品であった。それは帽子、衣服、靴、髪及び制服を飾り、その色と柄は宮廷と都市の移り変わる好みに従った。リボンの需要は大きく変動が激しく、その生産には製織と染色の技能と、流行への細心の注意が必要であった。リボン産業は、意匠、品質及び市場への対応力の産業であった。
絹リボンの製織は、16世紀の最後の数十年にフランスとイタリアからの亡命者によってバーゼルに導入された。初期のリボン織工は、一度に1本のリボンを織る単純な織機で働いていた。彼らは伝統的な形で、すなわち自らの織機を所有し、材料を購入し、製品を販売する独立の親方として組織されていた。織工のツンフト、すなわちWeberzunftは、彼らに対する管轄権を主張し、その活動を規制しようとした。
注
- 16世紀後半以降のバーゼル絹産業の諸部門(屑糸紡績、Florettseide又はSchappe、絹リボン製織、Seidenbandweberei)については、HLS, articles "Seidenindustrie" and "Posamenterei"を参照。要確認。 ↩
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