1970年代の新たな課題
1971年、10か国グループ(G10)の中央銀行総裁はユーロカレンシー常設委員会を設置した。同委員会は、ロンドンその他の金融センターにおいて各国規制の及ばないところで拡大したドル預金のオフショア市場を監視した。後にグローバル金融システム委員会と改称された同委員会は、国際銀行業務に関する統計の収集を開始し、この統計は今日でも国際決済銀行(BIS)の最も評価の高い成果物の一つとなっている。1974年、ケルンのヘルシュタット銀行とニューヨークのフランクリン・ナショナル銀行の破綻は、国際銀行業務のリスクを露呈させた。総裁たちはこれに対応して、同年末に銀行規制・監督実務委員会を設置し、これが後にバーゼル銀行監督委員会として知られるようになった。第II章では、同委員会の歴史と活動を検討する。1
1980年代の債務危機は、BISのさらに別の役割を示した。1982年8月にメキシコが対外債務を返済できないと発表した際、BISは中央銀行グループの支援を受けて、国際通貨基金(IMF)との取決めが成立するまでの間、メキシコにつなぎ融資を提供した。同様のつなぎ融資枠が、ブラジル、アルゼンチン、ハンガリーおよびユーゴスラビアにも続いた。これらの措置は、BISがブレトンウッズ機関よりも迅速に行動できることを裏付けたが、同時に、BISが先進工業国の債権銀行を保護しているとの批判にもさらした。2
注
- ユーロカレンシー常設委員会(1971年。1999年にグローバル金融システム委員会と改称)および1974年末のバーゼル委員会の設立については、Charles Goodhart, The Basel Committee on Banking Supervision: A History of the Early Years 1974–1997, Cambridge, 2011, 第1章および第2章、BISウェブサイトの沿革のページを参照。要確認。 ↩
- 1982年のメキシコおよび1980年代の債務危機におけるその他の債務国に対するBISのつなぎ融資については、BIS年次報告書1982/83年版および1983/84年版、James M. Boughton, Silent Revolution: The International Monetary Fund 1979–1989, IMF, 2001を参照。対象国および詳細は要確認。 ↩
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