1996年の合併とノバルティスの誕生
1996年3月7日、Ciba-GeigyとSandozは、Novartisという新会社への合併の意向を発表した。この名称は、ラテン語のnovae artes、すなわち「新しい技術」に由来する。この取引は対等合併の形をとり、両社の株主はそれぞれの株式を新会社の株式と交換した。統合後の会社の時価総額で測ると、当時、約300億米ドル規模の、史上最大の企業合併と評された。1 合併は株主および競争当局の承認を経て、1996年12月に完了した。欧州委員会と米国連邦取引委員会は、両社の事業が重複していた分野、特に動物用医薬品と農薬において、一定の製品の売却を求めた。2
この合併を推進したのは、医薬品研究の経済性であった。1990年代半ばまでに新薬の開発費は急騰しており、これが世界的な業界再編を促した。1995年だけでも、GlaxoがWellcomeを買収し、PharmaciaがUpjohnと合併した。こうした環境の中で、いずれも大規模な非医薬品事業を抱える中規模の製薬グループであったバーゼルの両社は、米英の大手に後れをとることを恐れた。両社は研究予算と営業部隊を統合することにより、世界規模で競争できるだけの大きさのグループを生み出そうとした。3 合併の社会的コストは、バーゼルでの相当数を含む、世界全体で数千人規模の雇用削減であった。この発表はスイスで大きな政治的論争を引き起こし、合併は株主志向の新しい資本主義の象徴となった。4
金融センターにとって、この合併は二つの持続的な帰結をもたらした。第一に、欧州最大級の上場会社に数えられる時価総額を持つ会社が誕生し、Novartisはスイス株式に投資するすべての投資家にとっての中核的保有銘柄となった。第二に、バーゼルの産業が自らを再編するために資本市場の手段、特に合併、会社分割、株式交換を用いることが示された。1996年の法的手法、すなわち吸収合併と新たな持株会社の設立との組合せは、後にこうした取引のための包括的な枠組みを提供することとなった2003年のスイス合併法に先行するものであった。5
注
- 1996年3月7日のCiba-Geigy AGおよびSandoz AGの共同発表。取引の規模およびそれが当時最大の合併と評されたことについては、当時の経済紙(たとえばNeue Zürcher Zeitung、Financial Times、1996年3月)を参照。数値は要確認。 ↩
- 欧州委員会、事件IV/M.737 – Ciba-Geigy/Sandoz における決定(1996年)。米国連邦取引委員会、in the matter of Ciba-Geigy Ltd., Sandoz Ltd. and Novartis AGにおける同意命令(1996年/1997年)。事件番号は要確認。 ↩
- 1990年代の世界の製薬産業の再編、およびCiba-GeigyとSandozの合併の動機については、製薬産業の歴史に関する文献、ならびにNovartisの1996年および1997年の年次報告書を参照。要確認。 ↩
- 合併に伴い発表された雇用削減とスイスにおける政治的反応については、当時の報道およびNovartisの1996年年次報告書を参照。数値は要確認。 ↩
- 2003年10月3日の合併、分割、組織変更および資産・負債の移転に関する連邦法(合併法、SR 221.301)。2004年7月1日の同法施行以前は、合併は旧スイス債務法(CO)第748条以下により規律されていた。要確認。 ↩
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