保険会社と国家
バーゼルの保険者と国家との関係は、本部が扱う1世紀の間に変化した。1860年代には、保険者は規制のほとんどない市場で営業する私企業であった。1885年の連邦の監督は、免許制とソルベンシー要件を導入した。20世紀における社会保険の発展は、私的保険者が営んできた事業の一部を引き継いだ。とりわけ、1918年に連邦のスイス国民災害保険機構(SUVA)が独占した産業労働者の災害保険と、1948年から老齢・遺族保険(AHV)が提供した老齢保険である。
私的保険者は、国家が自らに委ねた分野に集中し、社会保険制度に参加することによって適応した。私的保険者は、第2の柱の下での職域年金の提供者、SUVAの対象とならない企業の従業員の災害保険者、そして補足医療保険の提供者となった。スイスの歴史のなかで幾度も移動してきた公的保険と私的保険の境界は、依然として政治的議論の対象であり続けている。その例が、スイスの有権者が2007年と2014年に否決した公的医療保険金庫をめぐる議論である。1
強制的な公的保険、規制された競争を伴う強制的な私的保険、そして任意の私的保険を組み合わせるスイスの保険モデルは、公的責任と私的供給を組み合わせる解決策を好むスイスの志向を反映している。バーゼルの保険者は、その発端からこのモデルの一部であった。その歴史は、人生のリスクに対する保護における市場と国家との関係の変遷を示している。
注
- 2007年および2014年9月28日に否決された単一の公的医療保険金庫(Einheitskasse)を求める国民発議については、連邦の投票記録を参照。要確認。 ↩
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