改革派商人の手段
改革者たちによる穏当な利息の容認は、信用の手段を一夜にして変えたわけではなかった。16世紀後半のバーゼルの商人たちは、先人たちが発展させた手段を引き続き用いた。すなわち、不動産を担保とする長期信用のための定期金契約、交易事業の資金調達のための組合、商取引のための信用販売、そして交易拠点間の資金移転のための為替手形である。
為替手形は、これらの手段のうち最も洗練されたものであった。それは、振出人がある者に対し、他の都市にいる取引先である支払人に、指定の日に受取人である第三者に一定額の金銭を支払うよう指図する書面の指図であった。遠隔の都市での支払は手形の振出から数週間又は数か月後に行われたため、それは場所間の資金移転と時間を通じた信用供与とを組み合わせていた。その価格である為替相場には、貨幣の時間価値を反映する要素が含まれており、これにより商人は、形式上は通貨の交換を行いながら利息を得ることができた。教会法学者は為替手形を適法な交換契約として認めており、商人たちはそれを利息付き貸付の偽装に用いた。1
宗教改革の後、改革派の商人たちはもはや利息を偽装する必要はなくなったが、為替手形は資金移転と貿易金融の最も効率的な手段であったため、引き続きそれを用いた。リヨンとフランクフルトの見本市、そして後にはアムステルダムとロンドンの取引所が、手形が振り出され、引き受けられ、決済される中心地であった。17世紀には、受取人が手形の裏面に署名することによりそれを他人に譲渡する裏書の慣行が、為替手形を貨幣のように流通し得る流通証券へと変えた。裏書により、商人は他人から受け取った手形で自らの債務を支払うことができるようになった。それはまた手形の市場を生み出し、それが18世紀及び19世紀の短期金融市場の基礎となった。
為替手形及び小切手に関する法の統一に関する1930年のジュネーブ条約に基づいてスイス債務法(CO)に法典化されたスイスの手形法は、電子決済の台頭によってその実務上の重要性は低下したものの、今なおこの手段を規律している。2 姉妹編の主題である都市で交渉された1930年のジュネーブ条約は、大陸ヨーロッパにおける手形法を統一し、各国法がまちまちであった長い歴史の終わりを画した。それは、中央銀行がバーゼルに国際決済銀行(BIS)を設立したのと同じ年に採択された。この2つの出来事は、金融のための国際的な法的・制度的枠組みを創出しようとする同じ努力に属している。
注
- 移転と信用の手段としての為替手形と、交換契約(cambium)としての教会法上のその扱いについては、de Roover, The Rise and Decline of the Medici Bank, 1963及び為替手形の歴史に関する文献を参照。要確認。 ↩
- 為替手形(Wechsel)に関するCO(SR 220)第990条以下。為替手形及び約束手形に関する統一法を定める1930年6月7日のジュネーブ条約に基づく。要確認。 ↩
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