チェコの金
戦前の国際決済銀行(BIS)の歴史において最も暗い出来事は、チェコスロバキア国立銀行の金に関するものであった。1939年3月、ドイツ軍はプラハを占領し、ベーメン・メーレン保護領を設置した。数日後、すでにドイツの管理下に置かれていたチェコスロバキア国立銀行は、BISがイングランド銀行において同行の勘定で保有していた金を、ドイツ帝国銀行の勘定に移転するようBISに指図した。BISは協議の後にこの指図を実行し、これを受けて、BISの名義で金を保管していたイングランド銀行が、その帳簿上で移転を行った。1
この移転は英国でスキャンダルを引き起こした。議会と報道機関は、イングランド銀行と、BISの取締役会の構成員でもあったその総裁モンタギュー・ノーマンが、チェコの金をヒトラーに引き渡したと非難した。イングランド銀行とBISは、自らは口座名義人の指図に従って行動したのであり、チェコスロバキア国立銀行の経営陣の正統性を問うことはできなかったと主張した。批判者たちは、その指図は占領国の支配下にある中央銀行によって強制の下で与えられたものであり、BISとイングランド銀行はその実行を拒否すべきであったと反論した。
チェコの金事件は、現代の金融法においても中心的であり続けている問題を提起する。顧客から指図を受ける銀行は、指図を与える者がそれを行う権限を有することを確認しなければならない。顧客が占領下にある国やクーデターに見舞われた国の国家機関である場合、誰がそれを代表する権限を有するかという問題は、国際法と国際政治の問題となる。現代の制裁制度は、関係機関の資産を凍結することによって、これらの問題の多くを解決している。2022年の欧州連合(EU)、米国、スイスその他の国々によるロシア中央銀行の資産の凍結と、これらの資産をウクライナの復興に用いることをめぐる議論は、戦時における中央銀行資産の問題が1939年と同様に今日においても重要であることを示している。2
注
- ドイツによるプラハ占領後の1939年3月における、BISがイングランド銀行で保有していたチェコスロバキア国立銀行の金のドイツ帝国銀行の勘定への移転、およびその後の英国における論争については、Toniolo, 2005、ならびにBISおよびイングランド銀行の歴史に関する文献を参照。金額は要確認。 ↩
- 2022年2月以降のEU、米国、英国、スイスその他の国々によるロシア連邦中央銀行の資産の凍結、およびその収益のウクライナのための使用をめぐる議論については、関係する制裁規則および文献を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。