1931年の危機
国際決済銀行(BIS)がその業務をようやく開始したばかりのところで、1931年の世界金融危機が勃発した。1931年5月のオーストリアのクレディットアンシュタルトの破綻は、オーストリアの、次いでドイツの銀行に対する取付けと、中欧からの資本逃避を引き起こした。BISは、オーストリア国立銀行とドイツ帝国銀行が自国通貨を防衛するのを支援するため、中央銀行からの信用供与を組織した。1931年6月、BISは、イングランド銀行、フランス銀行およびニューヨーク連邦準備銀行とともに供与されたドイツ帝国銀行に対する1億米ドルの信用に参加した。1
これらの信用は不十分であった。ドイツの危機が深まるなか、1931年7月にダルムシュタット・ナツィオナール銀行が破綻し、ドイツは外国為替管理を導入した。1931年6月、米国大統領ハーバート・フーヴァーは、賠償を含むすべての政府間債務の1年間の支払猶予を提案し、これが採択された。1931年9月、英国は金本位制を離脱した。この危機は、問題が中央銀行の資源にとって大きすぎ、かつ各国政府が必要な政治的措置について合意しない場合における、中央銀行間協力の限界を示した。
第III章がバーゼルの銀行との関連で述べたドイツの短期信用に関する据置協定は、部分的にはBISの後援の下で交渉された。BISは、ドイツの債務者と外国の債権銀行との交渉のための中立的な会合の場を提供した。このように、BISは危機を防ぐことはできなかったものの、その管理において一定の役割を果たした。
1932年、ローザンヌ会議は、ドイツの残余の債務を、結局支払われることのなかった最終支払いに減額することによって、事実上賠償を終わらせた。BISの当初の目的は、その設立から2年以内に消滅したのである。同行は、中央銀行間協力の場として、中央銀行の預金を受け入れ、その準備を運用し、その委託により金および外国為替の業務を行う中央銀行のための銀行として、そしてドーズ案およびヤング案に基づいて発行された国際借款の受託者として存続した。2 当初の目的を失った後のBISの存続は、創設時の状況が変化したときに新たな機能を見出した機関の一例である。
注
- 1931年にBISの参加を得てオーストリア国立銀行およびドイツ帝国銀行に対して組織された中央銀行信用(1931年6月のドイツ帝国銀行に対する1億米ドルの信用を含む)については、Toniolo, 2005の1931年の危機に関する章を参照。要確認。 ↩
- 事実上賠償を終わらせた1932年6月・7月のローザンヌ会議、およびその後のBISの中央銀行間協力への方向転換については、Toniolo, 2005を参照。要確認。 ↩
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