化学労働者と研究所
化学産業は、バーゼルの労働力のなかに二つの新たな人物像を生み出した。化学労働者と研究化学者である。生産工場で雇用された化学労働者は、有毒かつ危険な物質を取り扱い、交替制で働き、事故や職業病にさらされていた。染料生産に用いられる芳香族アミンを取り扱う労働者の膀胱がんは、最初に認識された職業がんの一つであり、19世紀末以降、バーゼルその他の染料生産の中心地で観察された。1 労働者の健康の保護は、工場立法、労働協約、そして最終的には、1911年に法律で設けられ1918年から運用されたスイスの災害保険の問題となった。
スイス、ドイツその他の国の大学や工業学校で教育を受けた研究化学者は、各社が建設・拡張した研究所で働いた。バーゼルの企業は、バーゼル大学、チューリッヒの連邦工科大学その他の機関と協力し、講座や研究プロジェクトに資金を提供し、最も優秀な卒業生を採用した。バーゼルの企業のために、あるいはこれと協力して働いた科学者のうち数名がノーベル賞を受賞しており、そのなかには1948年のガイギーのパウル・ヘルマン・ミュラー、1950年のバーゼル大学のタデウス・ライヒシュタインが含まれる。
工業生産と科学研究の結合によって、バーゼルの化学産業は知識産業となった。そこでは、最も価値ある資産は科学者の技能とその研究成果であった。この性格は、研究開発が売上の大きな部分を吸収し、特許がその成果を保護する20世紀後半および21世紀の製薬産業において、いっそう顕著となる。
注
- 染料産業の労働者における膀胱がんの発生(芳香族アミン)および職業病としてのその認定については、バーゼルにおける観察を含め、産業医学史に関する文献を参照。要確認。 ↩
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