ピウス2世の大勅書
バーゼルに大学を創設する発議は市から出された。1459年、市参事会は教皇ピウス2世、すなわち若き秘書として公会議時代のバーゼルを知っていたかつてのアエネアス・シルウィウス・ピッコローミニに請願を送り、全学部を備えた大学の創設を認可するよう求めた。教皇は1459年11月12日付の大勅書でこの請願を認め、バーゼルにstudium generaleを設置し、これにボローニャ大学の特権を付与した。1 大学は1460年4月4日、司教、市参事会、聖職者並びに最初の教授及び学生の臨席の下、大聖堂で厳かに開学した。初代学長は大聖堂参事会の首席司祭ゲオルク・フォン・アンドラウであった。
バーゼル大学は現在のスイスの領域で最初の大学であり、何世紀にもわたって唯一の大学であり続けた。ローザンヌ(1537年)及びジュネーブ(1559年)のアカデミーはプロテスタント牧師の養成のための学校であり、大学となったのは19世紀になってからである。チューリッヒは1833年に、ベルンは1834年に大学を創設した。約4世紀にわたり、バーゼルは完全な大学を有する唯一のスイスの都市であり、スイスのエリート、とりわけ法律家と医師の大部分を養成した。2
大学は伝統的な四学部で組織された。すなわち、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学及び音楽の一般教育を施し、学生を上級学部に備えさせる学芸学部、神学部、教会法と市民法に分かれた法学部、そして医学部である。学芸学部が最も多くの学生を擁し、上級学部はより小規模であったが、より威信が高かった。学生はバーゼルとその周辺地域、スイスの諸邦、南ドイツ、アルザスから、そしてますますヨーロッパ全域から集まった。
注
- バーゼル大学を設立した1459年11月12日付のピウス2世の大勅書。Bonjour, Die Universität Basel von den Anfängen bis zur Gegenwart 1460–1960, 1960、スイス歴史事典(HLS)の項目「Universität Basel」を参照。要確認。 ↩
- スイスの大学及びアカデミーの創設年(バーゼル1460年、ローザンヌのアカデミー1537年、ジュネーブのアカデミー1559年、チューリッヒ大学1833年、ベルン大学1834年)については、スイス歴史事典(HLS)の各大学に関する項目を参照。要確認。 ↩
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