バーゼル・ハンデルスバンク
バーゼルの第二の主要な株式銀行は、1862年に設立されたバーゼル商業銀行(Basler Handelsbank)であった。その名が示すとおり、同行は商業と産業への融資を専門とする商業銀行であった。同行は、バーゼルの化学産業、外国貿易、そして外国の借り手、とりわけドイツおよび中欧の借り手に対する重要な資金供給者となった。1
同行は、ドイツの企業や公的機関が復興と賠償の資金を賄うために国外から多額の借入れを行った1920年代に、ドイツ向け融資に深く関与した。1931年のドイツの銀行危機により、据置協定の下で外国信用が凍結されると、同行はドイツ向け融資が固定化し、多額の損失を被った。その困難は、次節で述べる1932年のパリ事件によっていっそう深刻化した。1930年代をかろうじて乗り切った後、同行は1945年にスイス銀行コーポレーションに吸収された。2
バーゼル商業銀行の運命は、外国への集中的なエクスポージャーのリスクを示している。このリスクについては、第B部がフッガー家との関連で、第C部が18世紀のフランス国債への投資との関連で論じた。単一の外国の借り手に多額の融資を行う銀行は、その国の政治的・経済的リスクにさらされる。そこには、その国の政府が国外への支払いの送金を妨げるリスクも含まれる。カントリーリスクおよび大口エクスポージャーに関する現代の規制は、1931年の据置協定の経験をその歴史的教訓の一つとしつつ、このリスクに対処している。
注
- 1862年に設立されたバーゼル商業銀行、その商業金融・産業金融業務、および外国、とりわけドイツ向けの融資については、スイス歴史辞典(HLS)、項目「Basler Handelsbank」を参照。要確認。 ↩
- 1931年の据置協定の下で凍結されたドイツ向け信用に関するバーゼル商業銀行の損失、および1945年のスイス銀行コーポレーションによる同行の吸収については、HLS、項目「Basler Handelsbank」、およびスイス銀行コーポレーションの沿革を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。