植民地列強に仕えたスイス人
スイス人は、植民地列強に直接仕えることもあった。スイスの将校と兵士は、フランス、オランダ、英国その他の列強の軍隊に勤務し、その一部は植民地で勤務した。オランダに仕えるスイス連隊は、スリナムやケープを含むオランダ植民地に派遣され、スイス兵は奴隷反乱や抵抗運動の鎮圧に参加した。1
スイス人はまた、植民地会社の管理者や役人としても勤務した。バーゼルの最も顕著な例は、バーゼルの門閥家系の一員であったイザーク・フェッシュである。彼はオランダ西インド会社に仕え、18世紀半ばにキュラソーの総督を務めた。キュラソーはカリブ海におけるオランダ奴隷貿易の拠点であり、そこから奴隷とされたアフリカ人がスペインその他の植民地に分配された。2 フェッシュの経歴は、バーゼルのエリート層の成員が他の列強の植民地行政において責任ある地位に到達しえたこと、そして植民地世界が、本国では同等の地位を得られないスイス人に機会を提供していたことを示している。
19世紀には、スイスの移民が植民地や南北アメリカの独立国家に定住し、その一部はプランテーション所有者となった。奴隷制が1888年になってようやく廃止されたブラジルでは、バイーアその他の地域のスイス人入植者が、奴隷とされた人々が働くプランテーションを所有していた。1864年、国民議会の議員がこの問題を提起したことを受けて、スイス連邦議会は国外で奴隷を所有するスイス市民の問題を審議したが、この問題は関係国の管轄に属するとの理由から、その慣行を禁止しないことを決定した。3
注
- 植民地勤務のスイス傭兵(スリナム、ケープ、セイロンおよび東インドにおけるオランダ勤務、カリブ海におけるフランス勤務)については、スイス歴史辞典(HLS)の項目「Solddienst」、David/Etemad/Schaufelbuehl, 2005を参照。要確認。 ↩
- バーゼルのフェッシュ家の一員で、オランダ西インド会社のためにシント・ユースタティウスの、後にキュラソーの総督を務めたイザーク・フェッシュ(1687–1758年、総督在任1740–1758年)については、HLSの項目「Faesch, Isaac」を参照。年代は要確認。 ↩
- ブラジル(バイーア)のスイス人プランテーション所有者と、国外で奴隷を所有するスイス市民に関する1864年のスイス連邦議会での審議(国民議会議員ヴィルヘルム・ヨースの動議)については、David/Etemad/Schaufelbuehl, 2005、HLSの項目「Sklaverei」を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。