塩、ワイン、穀物:コモディティの取引
中世後期バーゼルの交易と公共財政を支配していたのは、塩、ワイン、穀物という三つの商品であった。いずれも生活に不可欠であり、いずれも公的規制に服し、いずれも市に収入をもたらした。
塩は食品の保存と牧畜に不可欠であったが、1836年にライン川沿いのシュヴァイツァーハレで岩塩鉱床が発見されるまで、バーゼル地域では塩はまったく産出されなかった。塩は主としてロレーヌの製塩所、フランシュ=コンテのサランの製塩所から、後にはチロルとバイエルンから輸入しなければならなかった。塩の供給は公の秩序に関わる事項であったため、中世後期から近世初期にかけて、市は塩の専売制を確立した。市は契約に基づいて生産者から塩を買い付け、塩倉に貯蔵し、統制価格で住民に販売し、その利ざやは財務に入った。1 塩の専売制は形を変えて存続している。スイスの各州(カントン)は塩の専売権(塩レガーレ)を保持しており、州が所有するSchweizer Salinen AGがシュヴァイツァーハレその他で製塩所を運営している。第D部で検討するバーゼルの化学工業がシュヴァイツァーハレに立地したのは、一つには、化学の基本的な原材料の一つである塩が入手可能であったためである。
ワインは中世都市の主要な飲料であり、すべての階層によって飲まれていたため、その交易は主要な商業活動であった。バーゼルは、アルザス、マルクグレーフラーラント、そしてライン川と湖沿いのスイスのブドウ園からワインを輸入した。ワイン商のツンフトであるツー・ヴァインロイテンは、ヘレンツュンフテの一つであった。ワイン交易はウンゲルトの主たる基盤であり、市参事会はこれを厳格に規制した。市参事会は居酒屋に免許を与え、計量器を管理し、税額を定めた。アルザスのワイン交易はバーゼルをコルマール、シュトラスブルクおよびライン諸都市と結びつけ、地域において商業信用が流通する経路の一つであった。
穀物は食生活の基礎であったため、品不足の時期におけるその供給は、市政府の最も重要な経済的任務であった。市参事会は穀物倉庫、すなわちコルンハウスを維持し、豊作の年にはこれを満たし、不作の年にはこれを空にして、統制価格で住民に穀物を販売した。市参事会は品不足の時期には穀物の輸出を禁止し、パンの価格を定め、製粉所を管理した。バーゼルの穀物政策は、ヨーロッパの大半の都市のそれと同様に、価格の安定と飢饉の防止のために交易の自由を犠牲にする供給確保の政策であった。2
市によるこれらの商品の管理は、現代のスイス国家が引き続き行使している機能、すなわち供給の確保の中世における先駆けである。スイスは国家経済供給法に基づき、食料、燃料、医薬品その他の必需品の義務的備蓄を維持している。スイスの石油輸入の大きな部分が通過するバーゼルのライン港は、この制度の戦略的要素である。3 ジュネーブに関する姉妹編は、ジュネーブ経済の柱の一つとなったコモディティ取引に二つの部を充てている。バーゼルのコモディティの歴史はより控えめであるが、ジュネーブにはない要素を含んでいる。それは、塩や染料から製薬産業の分子に至る原材料の加工である。
注
- ロレーヌ、サラン、後にはチロルのハルからのバーゼルへの塩の供給、市の塩倉と塩の専売制、および1836年のシュヴァイツァーハレにおける岩塩鉱床の発見については、スイス歴史事典(HLS)の項目「Salz」および「Schweizerhalle」を参照。年代は要確認。 ↩
- バーゼルの穀物政策(市の穀物倉庫、輸出禁止、パン価格)については、Harms, 1909–1913、HLS の項目「Kornhaus」を参照。要確認。 ↩
- 国家経済供給に関する2016年6月17日の連邦法(国家経済供給法、NESA、SR 531)、特に義務的備蓄(Pflichtlager)に関する規定。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。