難民家族とバーゼルの銀行業の起源
バーゼルの亡命者家族のうちいくつかは、その後の数世紀の間に、商業・工業から銀行業へと移行していった。その道のりは漸進的なものであった。絹や香辛料を商う商人家族は資本を蓄積し、顧客や仕入先に信用を供与し、自らの事業および他者のために為替手形を取り扱い、余剰資金を地代、外国の公債および商事会社の株式に投資した。一世代か二世代のうちに、事業の金融面が商品取引よりも重要となり、やがて一族の商館は銀行となり得たのである。1
Sarasin家はこの道のりを例証している。ロレーヌに起源を持ち、17世紀にバーゼルに定住したこの一族は、絹リボン産業および商業に従事していたが、19世紀に一族の一分家が銀行業に参入した。その名を冠した銀行A. Sarasin & Cieは、バーゼルを代表するプライベートバンクの一つとなり、その後公開会社に改組され、最終的にJ. Safraグループに買収され、同グループの下でBank J. Safra Sarasinとして存続している。2 17世紀の亡命者家族から、21世紀のブラジル・レバノン系銀行家一族が所有するグローバルなプライベートバンクに至るまでのSarasin銀行の歴史は、家族資本による地域的な事業から国際的な産業へというスイスのプライベートバンキングの変容を、一本の線で要約している。第C部および第E部でこれに立ち返る。
バーゼルの銀行家家族のいくつかが亡命者を起源とすることは偶然ではない。亡命者たちは国際商業と信用の経験、他の金融センターとのつながり、慎重さを重んじる文化、そして国境を越えて資産を保全する習慣を有していた。これらはまさに、プライベートバンキングが必要とした資質であった。同じパターンはジュネーブにも見られ、そこではユグノー亡命者が姉妹巻の記述する銀行を設立した。またチューリッヒでも、ロカルノからの亡命者が絹産業に、のちには銀行業に貢献した。
注
- 18世紀および19世紀におけるバーゼルの商人家族の商業・製造業から銀行業への移行については、HLS, article "Banken", section on Basel;バーゼルのプライベートバンクに関する文献を参照。要確認。 ↩
- Sarasin家および銀行A. Sarasin & Cie(のちのBank Sarasin & Cie AG。2011年/2012年にJ. Safraグループが買収し、現在のBank J. Safra Sarasin AG)の歴史については、HLS, article "Sarasin";同行が公刊した社史を参照。日付は要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。