プランテーション貸付けと奴隷制の証券化
18世紀後半、オランダの銀行家たちは、ヨーロッパ全域の投資家がカリブ海のオランダ植民地、とりわけスリナムのプランターに融資することを可能にする金融手段を開発した。ネゴシアティまたはプランテーション・ローンとして知られるこの手段は、複数のプランテーションに対する抵当貸付をプールし、投資家に債券を発行するものであった。投資家は、プランテーションの砂糖、コーヒー、綿花の売上から支払われる利息を受け取った。これらの貸付は、土地、建物、そしてそこで働く奴隷とされた人々を含むプランテーションを担保としていた。1
プランテーション・ローンは、オランダの投資家からも、オランダ証券を保有するスイスの投資家を含む他国の投資家からも、多額の資本を集めた。これらはスリナムにおけるプランテーションの拡大に資金を供給し、奴隷とされたアフリカ人への需要を増大させた。植民地物産の価格が下落し、1773年にアムステルダムの金融危機が勃発すると、多くのプランテーションは利息を支払うことができなくなった。貸付は債務不履行となり、投資家は多大な損失を被った。債務を負ったプランターたちは、生産を増やすために奴隷とされた労働者に対する搾取を強めた。
プランテーション・ローンは、証券化の初期の形態と評されてきた。すなわち、貸付をプールして証券とし、それを、裏付資産について直接の知識をもたない遠方の投資家に販売するというものである。2008年の金融危機の一因となった住宅ローン担保証券との比較は示唆に富む。いずれの場合も、金融構造によって、投資家は自らが知らない借り手に対し、自らが評価することのできない資産を担保として貸し付けることができた。またいずれの場合も、その構造は過剰な貸付を助長し、リスクを覆い隠した。プランテーション・ローンの場合、裏付資産には奴隷状態に置かれた人間が含まれており、そのため証券は彼らの搾取に資金を供給する手段となっていたのである。
注
- スリナムその他のオランダ植民地のプランテーション(奴隷とされた労働者を含む)を担保とした1750年代から1770年代のオランダのプランテーション・ローン(negotiaties)と、1773年以降のその破綻については、オランダ植民地金融に関する文献を参照。要確認。 ↩
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