ヨハネス・オポリヌス:この業界のリスク
バーゼルの印刷業者のすべてがフローベンやペトリのように成功したわけではない。パラケルススの秘書を務め、大学のギリシア語教授であった学者ヨハネス・オポリヌスは、1540年代に印刷業者となり、その世紀で最も重要な書物のいくつかを出版した。1543年、彼は近代解剖学の基礎的著作であるアンドレアス・ヴェサリウスのDe humani corporis fabricaを、見事な木版画の挿絵とともに印刷した。同じ年、彼はチューリッヒの神学者テオドール・ビブリアンダーが編集したラテン語訳によるコーランの初版を印刷した。1
コーランの印刷は、バーゼル市参事会との対立を招いた。市参事会は、イスラームの聖典の出版がキリスト教徒の読者を憤慨させ、市の評判を損なうことを恐れた。市参事会はこの版を禁止し、オポリヌスを短期間投獄させた。この版は、マルティン・ルターをはじめとする数人の改革者の介入の後、最終的に刊行を許された。ルターは、コーランを知ることがキリスト教徒がそれを論駁する助けとなると論じた。2 この挿話は、印刷業の規制リスクを例証している。市参事会は市内で何を印刷できるかを管理しており、論争的な書物を出版した印刷業者は、在庫の没収、罰金及び投獄の危険を冒したのである。
オポリヌスは優れた出版者であったが、拙い事業家であった。彼は野心的な計画に投資し、気前よく信用を供与し、債務を累積させた。1568年に彼が多額の債務を抱えて没したとき、その印刷所は彼の後に存続しなかった。彼の経歴は、知的野心と商業的成功が常に両立するわけではないこと、そして印刷業がすべての学者が備えていたわけではない財務規律を必要としたことを示している。
注
- Andreas Vesalius, De humani corporis fabrica libri septem, Basel: Johannes Oporinus, 1543; Machumetis Saracenorum principis ... Alcoran, ed. Theodor Bibliander, Basel: Oporinus, 1543。スイス歴史事典(HLS)の項目「Oporinus, Johannes」を参照。要確認。 ↩
- 1542年/1543年のラテン語版コーランをめぐる対立、オポリヌスの一時的な投獄並びにルターその他の改革者の介入については、スイス歴史事典(HLS)の項目「Oporinus, Johannes」、及びビブリアンダー版に関する文献を参照。要確認。 ↩
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