ユダヤ人、カオール商人と信用の問題
中世バーゼルにおける信用の歴史は、ユダヤ人共同体の歴史なしには書くことができず、その歴史には市の過去の中でも最も暗い出来事の一つが含まれている。それは、それにふさわしい真剣さをもって語られなければならない。バーゼルおよび他のヨーロッパ諸都市におけるユダヤ人迫害は、キリスト教社会が信用経済において彼らに割り当てた役割と、その役割が生んだ反感とに密接に結びついていたからである。
バーゼルにおけるユダヤ人共同体の存在は13世紀初頭から確認されている。その墓地は城壁の外、今日のペータースプラッツの近くにあり、大学の建物の建設の際に墓石が発見された。1 共同体の構成員は司教の、後には市の保護の下にあり、この保護のために税を支払っていた。彼らはツンフト(同職組合)から排除され、したがって大部分の手工業と多くの物品の取引から締め出されていた。教会法がキリスト教徒に禁じていた金貸しは、彼らに開かれていた数少ない職業の一つであり、彼らを保護する領主たちは、それに課税することができたため、彼らの貸付に利益を有していた。ユダヤ人の貸し手は、貴族、聖職者、市民、農民に、しばしば質物と引換えに信用を供与し、自らが負うリスクと税を反映した利率で利息を課した。
この仕組みは、ユダヤ人共同体を有用であると同時に脆弱なものにした。それは、そこから収入を得る領主にとって、また信用を必要とする借り手にとって有用であった。それが脆弱であったのは、債務者が債権者を恨み、説教壇から宗教的敵意が説かれ、そして領主がいつでも保護を撤回し、質物を没収し、債務を帳消しにすることができたからである。中世ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害は、しばしば経済的側面を有していた。ユダヤ人の貸し手に対する債務の帳消しは、債務者にとっては利益であり、支配者にとっては誘惑であった。
1348年と1349年に黒死病がヨーロッパに広がると、多くの都市でユダヤ人が井戸に毒を入れてペストを引き起こしたとして告発された。1349年1月、ペストがまだ市に到達してもいないうちに、バーゼルのユダヤ人共同体は虐殺された。犠牲者たちはライン川の中洲にそのために建てられた木造の家屋で焼き殺され、その子どもたちは強制的に洗礼を受けさせられた。2 同様の虐殺は、シュトラスブルク、フライブルク、そしてライン川上流および帝国の他の多くの都市で起こった。殺害された貸し手に対する債務は、帳消しにされるか横領された。
1360年代には、市が定めた条件の下で第二のユダヤ人共同体がバーゼルに定住したが、14世紀末には再び市を去った。その後数世紀にわたり、ユダヤ人はバーゼルに永住することを許されなかった。新たなユダヤ人共同体が市に定着できたのは、19世紀になって、スイスにおけるユダヤ人解放が実現してからのことである。連邦憲法がこれを完全に保障したのは、1866年と1874年の改正の後であった。3 1897年、バーゼルはテオドール・ヘルツルが招集した第1回シオニスト会議の開催地となり、この出来事によって市はシオニズムの歴史と結びつけられた。1966年にバーゼルに設立されたスイス・ユダヤ博物館は、中世の墓地の墓石を保存し、地域のユダヤ人の歴史を記録している。
1349年の虐殺は金銭の地としてのバーゼルの歴史の一部であり、今なお意味を持つ教訓を含んでいる。信用の組織は、道徳的・政治的な重みを伴う。信用が法の保護の外に立つ集団、あるいはその保護が権力者の好意に依存する集団に集中するとき、信用関係は支配と反感の関係となり、債務の清算は暴力の形をとりうる。債権者と債務者の双方を保護し、倒産手続を備え、法の前の平等を定める近代の信用法は、さまざまな意味をもつが、その一つとしてこの歴史に対する応答でもある。
中世バーゼルでは、キリスト教徒の貸し手も活動していた。ピエモンテのアスティ、キエーリその他の都市の商人や、南フランスのカオールの商人は、ドイツ語圏ではロンバルデン(Lombarden)およびカヴェルチェン(Kawertschen)(カオール人を意味するCahorsinsから)として知られ、13世紀以降、アルプス以北の多くの都市で認可を受けた貸し手として営業した。彼らは領主や都市から特許を得て、その対価を支払い、特許が定める範囲内で質物と引換えに利付きで貸し付けることを許された。このような貸し手は、バーゼル、そしてライン川上流およびスイス高原の諸都市で確認されている。4 彼らの存在は、キリスト教徒による利付き貸付が、認可され、課税され、しばしば蔑まれた形態に限定されつつも、高利禁止の下で続いていたことを示している。ピエモンテの貸し手たちは、バーゼル公会議の時期により目に見えるものとなるイタリア金融の世界とバーゼルとを結ぶ最初の環である。
注
- バーゼルの第一のユダヤ人共同体(13世紀~1349年)とペータースプラッツ近くのその墓地については、スイス歴史事典(HLS)の項目「Basel (Gemeinde)」のユダヤ人共同体に関する節、および Jüdisches Museum der Schweiz, Basel の刊行物を参照。要確認。 ↩
- 黒死病に関連する迫害の中で1349年1月に起きたバーゼルのユダヤ人共同体の虐殺については、HLS の項目「Basel (Gemeinde)」のユダヤ人共同体に関する節、およびライン川上流諸都市における1348年/49年の迫害に関する文献を参照。詳細は史料に照らして要確認。 ↩
- 中世の第二のユダヤ人共同体(1362年頃~1397年)と、スイスのユダヤ人の解放(1866年の居住移転の自由、1874年の信教の自由)については、HLS の項目「Judentum」を参照。年代は要確認。 ↩
- アルプス以北およびスイスの諸都市におけるロンバルディア人およびカオール人の貸し手(Lombarden, Kawertschen)については、HLS の項目「Lombarden」を、バーゼルについては Wackernagel, vol. 2/1, 1911 を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。