国際展開
バーゼルの保険者は、当初からスイスの外に目を向けていた。スイス市場は小さかった。国際的なつながりを持つ商人によって設立されたバーゼルの会社は、近隣諸国に事業を求めた。人口が多く増加を続け、急速に工業化していたドイツは、その最も重要な国外市場となった。バーゼルの保険者は19世紀後半にドイツに支店や代理店を開設し、火災保険、運送保険および生命保険において相当のドイツ事業を築いた。1 フランス、オーストリア、ベルギーおよびオランダをはじめとする他の国外市場がこれに続いた。
国際事業は、バーゼルの保険者を、その営業する国々の経済的・政治的リスクにさらした。保険者は外国の監督規則を遵守しなければならず、その規則はしばしば、受入国において準備金を保持し、それを現地の資産に投資することを義務づけていた。保険者は国内保険者との競争に直面し、一部の国では国内企業を優遇する差別に直面した。さらに保険者は、外国の準備金のスイスフラン換算の価値を減少させうる通貨下落のリスクと、資産の没収につながりうる政治的動乱のリスクを負っていた。
これらのリスクは第一次世界大戦後に顕在化した。1922年および1923年のドイツのハイパーインフレーションはマルクの価値を破壊し、それとともに、スイスの保険者がドイツの生命保険契約を賄うためにドイツで保持していた準備金の価値をも破壊した。マルク建ての保険契約が無価値となると、保険者は補償を求める保険契約者からの請求に直面した。スイスの保険者はドイツ当局および保険契約者と交渉しなければならず、多額の損失を負った。2 1917年のロシア革命は、外国保険者のロシア事業の没収をもたらした。これらの損失の経験により、スイスの保険者は国外事業においてより慎重になり、外国の負債を同じ通貨建ての外国の資産と対応させることの重要性を学んだ。
注
- 19世紀後半におけるバーゼルの保険者のドイツその他の国々への進出については、バロワーズの社史および国外におけるスイスの保険者に関する文献を参照。要確認。 ↩
- 1922年・1923年のドイツのハイパーインフレーションがスイスの保険者のドイツ事業に与えた影響およびその後の再評価の問題については、ドイツにおけるスイスの保険者の歴史に関する文献を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。