海外進出:バーゼル化学の多国籍化
バーゼルの化学企業は早くから多国籍企業となった。小さなスイス市場はその生産のごく一部しか吸収できず、他方で顧客は世界中の繊維産業、医師および農業者であった。19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの国が自国産業の保護のために引き上げた関税により、保護された市場の内部で生産することが有利となった。そのため、バーゼルの企業は国外に工場を建設した。それは近隣諸国に始まり、欧州および米州の主要市場へと広がった。1
最初の国外工場は、国境のすぐ向こう側に建設された。ロシュは1896年、バーデンのグレンツァッハに工場を建設した。チバとガイギーは、アルザスのユナングとサン=ルイ、ならびにバーデンのグレンツァッハとヴェーアに工場を建設した。バーゼルの本社から数キロメートルの距離にあるこれらの工場は、親会社の緊密な管理下にとどまりつつ、ドイツとフランスの市場に供給した。その後、各社は英国、イタリア、ポーランド、ロシアおよび米国にも工場を建設した。
多国籍的な構造は、各社が対処しなければならない法的・政治的問題を生じさせた。戦時には、スイス企業の国外子会社は、所在国によって敵国財産として扱われるおそれがあった。バーゼル伝道商会が第一次世界大戦中に経験したとおりである。第二次世界大戦中、バーゼル企業のドイツ子会社はナチス体制の下で操業した。同体制はユダヤ人の従業員および取締役の排除を強制し、その生産を統制し、それらを戦時経済に組み込んだ。独立専門家委員会はその研究の一つでこれらの問題を検討し、バーゼルの企業が自らの資産を守るためにドイツ子会社を体制の要求に適合させたことを明らかにした。2
注
- 関税を克服するためのバーゼルの化学企業による早期の国外生産拠点の設立(ドイツ、フランス、英国、イタリア、ロシア、米国)については、バーゼル化学産業史に関する文献を参照。要確認。 ↩
- ナチス期におけるバーゼルの化学企業のドイツ子会社、その体制への適合(ユダヤ人従業員の排除を含む)および戦時経済における役割については、スイス化学産業に関する独立専門家委員会「スイス―第二次世界大戦」の研究(ベルジエ委員会刊行物第7巻、2001年)を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。