歴史から現在へ
D部第IV章では、バーゼルにおける保険の起源を、1861年5月にグラールスの町の大部分を焼失させた火災にまでさかのぼった。この火災は、損害の多くが外国の会社に付保されていたか、まったく付保されていなかったため、スイスの保険引受能力がこの規模の損失には不十分であることを明らかにした。バーゼルの商人と銀行家はこれに対応して、1863年にバーゼル火災保険会社(Basler Feuerversicherungs-Gesellschaft)を、1864年に生命保険会社を設立し、続いて運送保険会社を設立した。1同章では、1885年に導入された民間保険に対する連邦の監督、生命保険数理の発展、バーゼルの各社の国際展開、ナチス期におけるそのドイツ事業、そして単一のグループへの段階的な統合についても述べた。
本章は、D部が筆を置いた20世紀後半から話を再開する。当時、バーゼルの保険会社は、スイス市場において強固な地位を持ち、ドイツその他の近隣諸国で相当の事業を営む確立した会社であった。その後の数十年間、これらの会社は欧州の保険業界の他の部分と同じ圧力に直面した。すなわち、欧州連合(EU)における保険市場の自由化、金利の低下、規制および情報技術のコストの上昇、そしてデジタル・チャネルを通じて保険を販売する競争相手の登場である。こうした圧力に対するバーゼルのグループの対応は、最終的にヘルヴェティア(Helvetia)との合併に至るものであり、本章の前半をなす。
後半では、バーゼルにおける保険を別の角度から考察する。そこでは、都市と地域が、民間保険が部分的にしか、あるいはまったく引き受けないリスクに対して、いかに自らを守っているかを問う。1356年に地震によって破壊されたバーゼルは、アルプス以北で地震活動が最も活発な地域に位置している。それにもかかわらず、スイス法には建物に地震保険を付すべき一般的な義務が存在せず、この空白は数十年にわたり連邦政治の課題となりながら解決されていない。2この問題は、民間保険会社、公的機関および不動産所有者の間での巨大災害リスクの配分が、依然として開かれた政治的選択であることを示している。
注
- 1861年5月10日/11日のグラールス大火および1863年/1864年のバーゼルの保険会社の設立については、D部第IV章を参照。日付はBaloiseの社史との照合を要する。 ↩
- バーゼル地域の地震ハザードについては、チューリッヒ工科大学(ETH Zurich)のスイス地震局(SED)のハザードマップを参照。同マップは、バーゼル地域とヴァレー州をスイスで最もハザードの高い地域としている。要確認。 ↩
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