家内織機から工場へ
19世紀後半、バーゼルのリボン産業は家内労働から工場へと次第に移行した。最初は水力、次いで蒸気と電力で駆動される力織機の導入により、生産を大規模な工場に集中させることが可能となり、そこでは製造業者の監督の下で数百台の織機を稼働させることができた。工場は家内労働に比べて利点を有していた。より良い品質管理、より迅速な生産、素材の横領の減少、そして機械動力の利用である。他方、工場は建物、機械および動力への多額の投資を必要とし、また織工を家内労働者から工場の被用者へと変えた。1
この移行は緩慢かつ不完全であった。家内織りは数十年にわたり工場生産と並行して続き、とりわけバーゼル=ラントシャフト州の村々では、20世紀初頭の家庭用織機の電化が一時的に家内工業を復活させた。新たな電力網から供給される電動機は織工の家の織機を駆動することができ、そのため家内織工はしばらくの間工場と競争することができた。しかし、流行が変わりリボンの使用が減少した第一次世界大戦後のリボン需要の衰退により、1930年代までに大半の村で家内工業は終焉を迎えた。
リボン産業の工場は市内と農村部に建設され、しばしば動力を供給する水路の近くに置かれた。その一部はのちに他の用途に転用された。バーゼルの化学企業のいくつかは、かつて繊維産業が使用していた建物や敷地で活動を開始した。このようにバーゼルの産業景観は、二つの産業の継承を示している。19世紀のリボン工場と、それに取って代わった化学工場である。
リボン産業の機械化には問屋制度よりも大規模な資本が必要であり、リボン製造業者はその資金を、一部は自己資金により、一部は市内に出現しつつあった銀行を通じて調達した。こうして工場の時代は、バーゼルにおける産業と銀行業のつながりを強化した。これについては第III章で検討する。
注
- 19世紀後半におけるバーゼル・リボン産業の家内織りから工場生産への移行については、HLS, article "Posamenterei"を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。