染料から医薬品へ
染料から医薬品への移行は、科学的な論理に従うものであった。染料と薬剤はいずれも有機化合物であり、同じ化学的手法によって生産される。実際、初期の薬剤の多くは、染料に取り組んでいた化学者によって発見された。特定の染料が特定の組織や細菌を染めることを観察したドイツの医師パウル・エールリヒは、疾病の原因を選択的に攻撃する化学物質という「魔法の弾丸」の着想を発展させた。1909年、彼とその協力者たちは梅毒に有効なヒ素化合物サルバルサンを発見し、これはHoechstによって生産され、最初の近代的化学療法薬となった。1 化学者、研究所、生産設備を有する染料企業は、薬剤を生産するにふさわしい当然の候補であった。
バーゼルの企業は、それぞれ異なる時期に、異なる方法で医薬品事業に参入した。Cibaは19世紀末に消毒薬をはじめとする医薬品の生産を開始し、20世紀初頭に医薬品部門を設けた。Sandozは1917年に、ノーベル賞受賞者リヒャルト・ヴィルシュテッターのもとで研究した化学者アルトゥール・シュトルの指揮の下で医薬品部門を設立した。シュトルは、ライ麦に寄生する菌類である麦角からエルゴタミンを単離し、Sandozはこれを1921年に片頭痛の治療用および産科用の薬剤として発売した。2 Sandozはまた、1920年代と1930年代に商業的成功を収めたカルシウム製剤カルシウム・サンドを発売した。
麦角アルカロイドに関するシュトルの研究は、バーゼルの化学の歴史において最も有名な発見の一つにつながった。1938年、彼の同僚アルベルト・ホフマンは、循環刺激薬の探索の過程でリゼルグ酸ジエチルアミド(LSD-25)を合成した。この物質は動物試験では興味深い作用を示さず、脇に置かれた。1943年4月、ホフマンはこれを再び合成し、誤って少量を吸収した後、その精神作用を経験した。数日後、彼は意図的に一定量を服用し、知覚が変容した状態で自転車に乗って帰宅した。この出来事は「自転車の日」として伝説となっている。3 Sandozは、その娯楽目的の使用と禁止に先立つ1950年代と1960年代に、研究目的でLSDを頒布した。Sandozが制御することも利益を得ることもできなかったLSDの歴史は、医薬品研究の予測不可能な帰結を示している。
注
- パウル・エールリヒの「魔法の弾丸」の概念と、1910年からHoechstが生産したサルバルサンの発見(1909年)については、薬理学史に関する標準的文献を参照。要確認。 ↩
- アルトゥール・シュトル(1887–1971年)、1917年のSandoz医薬品部門の設立、エルゴタミンの単離(1918年)とGynergenとしてのその発売については、スイス歴史辞典(HLS)の項目「Stoll, Arthur」、Sandozの社史を参照。年代は要確認。 ↩
- 1938年のアルベルト・ホフマンによるLSD-25の合成と、1943年4月のその精神作用の発見(1943年4月19日の自己実験)については、Albert Hofmann, LSD – Mein Sorgenkind, 1979、HLSの項目「Hofmann, Albert」を参照。要確認。 ↩
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