フェリクス5世、サヴォイアとジュネーブ
サヴォイアのアメデーオ8世がフェリクス5世として選出されたことは、バーゼル公会議をジュネーブの歴史と結びつけている。アメデーオ8世は40年以上にわたりサヴォイアを統治し、1416年に皇帝から伯領の公領への昇格を獲得し、レマン湖地方にその権力を拡大していた。1434年、彼は統治から退いてそれを息子に委ね、仲間の一団とともにレマン湖南岸のリパイユ小修道院に隠棲し、そこで隠修騎士として暮らした。1439年に公会議が彼を教皇に選出すると、彼は平信徒であり、子を持つ寡夫であったにもかかわらず、これを受諾した。1
教皇としてのフェリクス5世を承認したのは、サヴォイア、スイスの一部及び一部のドイツ諸侯など、わずかな領邦にとどまった。一部はバーゼルに、一部はローザンヌとジュネーブに居住しながら、彼はその宮廷と公会議の費用を主としてサヴォイアの資金で賄った。1444年、彼はジュネーブ司教区の管理を引き受け、退位後もこれを保持した。2 1449年の彼の退位はニコラウス5世との交渉によって取り決められ、ニコラウス5世は彼を枢機卿兼教皇特使に任じ、彼が行った教会の任命を承認した。彼は1451年にジュネーブで没した。
この挿話は、15世紀におけるバーゼル、サヴォイア及びジュネーブの緊密な結びつきを示している。公会議はサヴォイアの資金をバーゼルにもたらし、公会議の衰退はメディチ家をバーゼルからジュネーブへと移らせ、元教皇フェリクス5世はジュネーブ司教区の管理者としてその生涯を終えた。本書とその姉妹巻が考察する二つの都市は、教会的、王朝的及び金融的な関係からなる同じ世界に属しており、バーゼル公会議はこの世界の結節点の一つであった。
注
- サヴォイアのアメデーオ8世(1383年〜1451年)、1416年以降の公位、リパイユへの隠棲(1434年)及びフェリクス5世としての選出(1439年)については、スイス歴史事典(HLS)の項目「Felix V.」、並びにサヴォイア家に関する文献を参照。日付は要確認。 ↩
- 1444年以降のフェリクス5世によるジュネーブ司教区の管理、及び1449年の退位後の枢機卿兼教皇代理としての地位については、スイス歴史事典(HLS)の項目「Felix V.」、並びに姉妹巻Genève, place financière internationaleの第A部を参照。要確認。 ↩
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