エラスムスの家計と生活費
エラスムスはバーゼルで、地位ある学者にふさわしい暮らしをしていた。彼は家を借り、最初はフローベンの所有物件に、後には自ら選んだ家に住み、召使と、彼の書簡と原稿を筆写し書簡を運ぶ秘書、すなわちfamuliを抱え、馬を1頭飼い、訪問者を迎えた。彼の書簡は、相当な額に上った自らの出費に彼がいかに注意深く目を配っていたかを示している。1
famuliについては一言触れておくに値する。彼らは若者であり、しばしば学生であって、食事、宿所、教育、そして偉大な学者とのつながりがもたらす威信と引換えにエラスムスに仕えた。その幾人かは後に学者、印刷業者又は役人となった。彼らはまた、エラスムスの使者及び代理人でもあり、書簡を届け、支払いを回収し、知らせを持ち帰るためにイングランド、低地諸国及びイタリアへ旅した。エラスムスは、イングランドの年金を回収するためにfamuliを派遣した。その一部は相当な金額を身に着けて運んだが、それは道路が悪く強盗が頻発した時代には危険な企てであった。
こうして、エラスムスの家政は、従業員、支出、売掛金及び代理人のネットワークを持つ小さな事業でもあった。その管理には、商人の事業の管理と同じ技能が必要であった。すなわち、会計、従業員の監督、債権の回収及び現金の管理である。『痴愚神礼讃』で商人を嘲笑したエラスムスは、自らの事務の管理においては商人として振る舞わなければならなかったのである。
バーゼルの生活費は、エラスムスの書簡において繰り返し現れる主題であった。彼はワイン、薪及び宿所の価格について不満を述べ、それらを他の地の価格と比較した。バーゼルは今なお物価の高い都市である。生活費の調査は、バーゼルを含むスイスの諸都市を、世界で最も物価の高い都市に定期的に位置づけている。金融センターにとって、高い生活費は繁栄の印であると同時に、人材を引き寄せる上での競争上の不利でもある。金融部門及び製薬部門の給与はこれを反映している。
注
- エラスムスのバーゼルにおける住居(フローベン所有の家、及び後に彼が没したzum Luftの家)及びその家政については、スイス歴史事典(HLS)の項目「Erasmus von Rotterdam」、並びにバーゼルにおけるエラスムスに関する地元の文献を参照。要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。