コルレス先:バーゼルの商会のネットワーク
19世紀初頭のプライベートバンクの良し悪しは、そのコルレス先次第であった。顧客に奉仕するために、プライベートバンクはヨーロッパの主要な金融センターの銀行との関係を必要とした。それらの銀行は、自らを支払人として振り出された手形を支払い、バーゼルの商館の勘定のために資金を受け入れ、その指図に基づいて証券を売買し、市場ならびに商人と国家の信用力について情報を提供するのである。バーゼルのプライベートバンクは、家族のつながり、事業上の関係およびサービスの交換を通じて、このようなネットワークを構築した。1
パリが最も重要な中心地であった。19世紀初頭、フランス国家、鉄道および国際貿易に資金を供給したプライベートバンクの商館群であるパリのhaute banque(オート・バンク)には、スイスのプロテスタントを起源とするいくつかの商館が含まれていた。Mallet家、Delessert家、Hottinguer家その他であり、その多くはジュネーブまたはその他のスイスの家族の子孫であった。姉妹巻はhaute banqueに対するジュネーブの貢献を記述している。バーゼルの商館はこれらのパリの銀行と関係を維持し、それによりフランスの短期金融市場と資本市場へのアクセスを得た。
フランクフルトは第二の重要な中心地であった。Bethmann家、そして18世紀後半からはRothschild家を含むフランクフルトの銀行家の商館は、ドイツ諸邦と通商に資金を供給し、ドイツの公債市場を支配した。フランクフルト、ロンドン、パリ、ウィーンおよびナポリの五つの分家が19世紀で最も強力な金融ネットワークを形成していたRothschild家は、スイスの銀行のコルレス先であり、のちにはスイスの鉄道の資金調達にも参加した。
19世紀の世界の金融の首都ロンドン、そして首位の座を失ったものの重要な市場であり続けたアムステルダムが、このネットワークを完成させた。これらの中心地のコルレス先を通じて、バーゼルのプライベートバンクは顧客にヨーロッパの主要市場へのアクセスを提供し、外国債の募集や外国証券の取引に参加することができた。
コルレス・ネットワークは、信頼、互恵性および情報に基づいていた。コルレス先同士は互いに信用を供与し、互いの手形を引き受け、市場と顧客に関する情報を共有した。その関係はしばしば個人的かつ長期的なものであり、家族の絆と訪問によって強化された。他の銀行に保有する口座を通じて銀行が国境を越える決済サービスを提供することを可能にする現代のコルレス銀行制度は、このネットワークの継承者である。コルレス口座は不正な資金を国際金融システムに流すために利用され得るため、その規制はマネーロンダリング対策の中心的な関心事となっている。2
注
- 19世紀初頭におけるスイスのプライベートバンクのコルレス・ネットワーク(パリ、フランクフルト、アムステルダム、ロンドン、リヨン、ミラノ)については、スイスの銀行史に関する文献を参照。要確認。 ↩
- マネーロンダリング防止法制の下でのコルレス銀行関係の規制(金融活動作業部会(FATF)勧告13;スイス金融市場監督機構(FINMA)のマネーロンダリング防止命令(AMLO-FINMA)第12条以下)については、第E部を参照。要確認。 ↩
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