国制上の帰結
宗教改革はバーゼルの国制を変えた。カトリック派参事会員の排除とツンフトの圧力は、市の統治におけるツンフトの役割を強化した。参事会はいまやツンフトの代表と少数のその他の成員によって構成された。留保議席を有していた旧来の騎士家系と門閥家系は、その影響力を失った。市長その他の主要な役職者はツンフトから選ばれた。1
市内に残っていた司教の権利は終わりを迎えた。司教はすでに1527年にその居所をポラントリュイに移していた。大聖堂参事会は1529年に市を去ってフライブルク・イム・ブライスガウに移り、そこから1678年にバーゼル近郊のアーレスハイムに移った。17世紀後半に大聖堂参事会のために建てられたアーレスハイムの大聖堂は、今日、スイスで最も美しいバロック教会の一つである。14世紀に司教の権利を取得したことに始まった市と司教領との分離は、ここに完成した。2
大学は、その教授と学生の多くがカトリックであり市を去ったため、1529年に閉鎖された。大学は1532年に、参事会の管理下にあるプロテスタントの機関とする新たな規則をもって再開された。再開された大学は4学部と学位授与権を維持した。大学は改革派世界を代表する大学の一つとなり、スイス、ドイツ、フランス、オランダ、イングランド、ハンガリー及びポーランドから学生を集めた。
注
- 1529年の宗教改革に続く国制の変化(ツンフトの強化、貴族の留保議席の廃止)については、HLS, article "Basel (Kanton)"の16世紀に関する節、Burckhardt, 1942を参照。要確認。 ↩
- 大聖堂参事会のバーゼルからフライブルク・イム・ブライスガウ(1529年)及びアーレスハイム(1678/79年)への移転、並びにアーレスハイム大聖堂については、HLS, articles "Arlesheim" and "Basel (Fürstbistum)"を参照。日付は要確認。 ↩
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