保険会社以前:相互扶助と公的火災保険
19世紀に保険会社が設立される以前、バーゼルの人々は別の方法でリスクから身を守っていた。ツンフト(同業組合)は、病気になり、負傷し、または死亡した組合員に相互扶助を提供し、共同の基金からその寡婦や孤児を支援した。病院と救貧局は、他に支えのない者の面倒を見た。家族はその構成員を支えた。商人は、組合を通じて交易事業のリスクを分担し、商品を複数の船や運送人に分散させた。そして、14世紀にイタリアの諸都市で発展した海上保険は、ジェノヴァ、ヴェネツィア、アントワープ、アムステルダムおよびロンドンの保険市場を通じて、海路で商品を輸送する商人に利用可能であった。1
火災は、前工業化時代の都市において最も恐れられたリスクであった。家屋は部分的に木造であり、裸火で暖をとり、ろうそくや油ランプで照明されていた。狭い通りでは、火災は家から家へとたちまち燃え広がりえた。1666年のロンドン大火や多くの大陸の都市の大火は、火災保険制度の創設につながった。ドイツの諸邦およびスイスの各州(カントン)では、18世紀以降、火災保険は公的機関、すなわち各領邦の火災保険金庫によって組織された。これらの機関は、すべての建物を強制的に火災に対して保険に付し、すべての所有者から拠出金を徴収した。2
今日ほとんどの州に存在するスイスの州営建物保険機関は、これらの制度の継承者である。それらは、公的独占として、すべての建物所有者に対する強制保険により、その州内のすべての建物を火災および自然災害に対して保険に付している。それらはまた、火災予防と消防隊に資金を供給している。この制度は、その効率性と低い保険料のゆえに称賛される一方、民間の競争を排除する独占であるとして批判されてきた。ジュネーブ、ティチーノ州、ヴァレー州その他のいくつかの州は、公的独占を有しておらず、建物保険を民間保険者に委ねている。3 第A部が1356年のバーゼル地震との関連で言及した、地震のような自然災害を連邦レベルで強制保険の対象とすべきかという問題は、繰り返し議論されてきたが、連邦レベルでの解決には至っていない。
注
- 前近代のリスク保護の形態(ツンフトの相互扶助、14世紀以降のイタリア諸都市における海上保険)については、保険史に関する標準的文献を参照。要確認。 ↩
- 18世紀および19世紀以降のドイツ諸邦およびスイス各州における公的火災保険機関(Brandversicherungsanstalten, Gebäudeversicherungen)については、スイス歴史辞典(HLS)、項目「Gebäudeversicherung」を参照。要確認。 ↩
- 過半数の州で公的独占として運営されているスイスの州営建物保険機関、および独占を有しない州(いわゆるGUSTAVO州。ジュネーブ、ウーリ、シュヴィーツ、ティチーノ、アッペンツェル・インナーローデン、ヴァレー、オプヴァルデン)については、州営火災保険機関協会の刊行物を参照。要確認。バーゼル=シュタット州の位置づけは要確認。 ↩
本記事は一般的な情報提供のみを目的としています。法律上または税務上の助言を構成するものではなく、個別案件に関する助言に代わるものでもなく、弁護士と依頼者との間に委任関係を生じさせるものでもありません。本記事は2026年10月時点の法的状況を反映しています。