バーゼルの事例:1939年の購入とグラーザー・コレクション
バーゼルの公的コレクションは、この歴史において独自の一章を占めている。1939年、新館長ゲオルク・シュミットの下にあったバーゼル市立美術館(Kunstmuseum Basel)は、国家社会主義体制が「退廃芸術」としてドイツの美術館から撤去した重要な近代作品の一群を取得した。州政府が承認した特別予算により、同美術館は、1939年6月にルツェルンのギャラリー・フィッシャー(Galerie Fischer)で行われた競売で一部の作品を購入し、その他の作品をベルリンで体制から委託を受けたディーラーから直接購入した。これらの購入により、キルヒナー、マルク、ココシュカ、シャガールらの作品がバーゼルにもたらされた。これらは1938年のドイツの法律に基づいて公立美術館から撤去された作品に関するものであったため、一般に私有財産の没収とは異なる扱いを受けてきた。それでも、体制からの購入に対する倫理的評価は、引き続き議論の対象となっている。1
より困難な事例は、ベルリンの美術史家で国立美術図書館長であり、ユダヤ人として迫害されたクルト・グラーザー(Curt Glaser)のコレクションに関するものであった。1933年に職を失ったグラーザーは、同年5月にベルリンの競売でコレクションの多くを売却し、国外に移住し、最終的に米国に渡った。バーゼル市立美術館は、これらの競売で、エドヴァルド・ムンクやエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの素描や版画を含む約200点の紙作品を取得した。グラーザーの相続人による請求は、当初、美術館の所管機関によって退けられた。再検討の後、美術館と相続人は2020年に公正かつ公平な解決について合意した。公表された声明によれば、その内容には相続人への支払いが含まれ、作品はバーゼルにとどまる。美術館は、グラーザーの生涯とコレクションに関する展覧会においてこの事例を記録した。2
グラーザーの事例は、強迫下での売却をめぐる議論の意義を示している。グラーザーは公開の競売で自ら作品を売却したため、所有権の移転は法的な意味では有効であった。しかし、売却するという彼の決断は、彼からドイツでの地位と将来を奪った迫害の直接の帰結であった。ワシントン原則およびテレジン宣言は、民法上の請求権が存在しない場合であっても、このような売却を公正かつ公平な解決の根拠として扱っている。スイスの美術館は次第にこのアプローチを適用するようになっているが、スイス国内で売却された逃避財産については、その限界は依然として争われている。3
注
- 1939年6月30日のルツェルンにおけるギャラリー・フィッシャーの競売を含む、1939年のゲオルク・シュミット館長の下でのバーゼル市立美術館による「退廃芸術」作品の購入とその評価については、バーゼル市立美術館の刊行物および前掲ベルジエ委員会の研究を参照。作品数および詳細は要確認。 ↩
- クルト・グラーザーの相続人によるバーゼル市立美術館に対する請求、その当初の拒否(2008年)、2018年以降の再検討および2020年の合意、ならびに展覧会Der Sammler Curt Glaser(2022/2023年)については、バーゼル市立美術館およびバーゼル=シュタット州のプレスリリースを参照。日付および条件は要確認。 ↩
- スイスの美術館実務における強迫下での売却および逃避財産の評価については、連邦文化庁、スイス博物館協会の刊行物および返還に関する専門文献を参照。要確認。 ↩
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